2007年4月6日
旧助羅の
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老馬新聞

いろいろ探っているうちに旧助羅のホームページを発見!!.旧助羅の写真もある。
旧助羅のホームページ


そしてその中になんと、魚島漁民との紛争事件がしっかり記録されていた。あの「証明書」も出ており事件を韓国の目で見る格好の資料。→「旧助羅里史」

紛争事件該当部分の訳出を試みよう。


 1905年、いわゆる韓日間の乙巳保護条約締結前後、日本人たちが波が押し寄せるように韓国に入国するようになったころ 我が旧助羅にも 日本の四国地方の漁島(ママ)村から 漁民たちが彼らの政府の財政的な支援を受けて入住してきた。

 日本人たちは入住舎という名称の連立瓦葺屋※1を建設して多くの世帯が(一緒に)暮らし、また別居※2)するものもいた。
※1(瓦葺長屋か) ※2(一戸建て、か
 当時の日本人たちは、帆船でイワシを獲る船引き網漁業が主流であって、その他に商店、石工、桶職人などもいたのだが、日本から来た僧侶がいて寺もあった。長承浦には日本の広島からサバ漁の漁業者が大挙入住し 彼らの集団居住地を
入左村と呼んでおり、帆船でサバ漁に従事していたのだが、旧助羅沖の海からは無尽蔵に漁獲してしており、漁業技術と資本がない韓国人たちは日本人の漁業者に雇われて働いていたのだが、そのときはそれなりに景気がよく、私たちの村にも旅人宿や、商店、朝鮮遊郭と日本遊郭、そして日本旅館が二軒もあった。

 しかし、これらの日本人たちは初めて韓国へ来たころは 行動が粗野で無礼な振るまいが多かった。日本人漁夫達は夏になると<フンドシ>というものだけを身に着けてぞろぞろ歩くので、この連中を、当時五衛将(軍隊の上官)を受け継いでいた姜応先が捕らえて尻打ちの刑に処し訓戒を与えたこともあった。

 これら日本人たちは、今後そのような無作法はしないと約束する証拠として 日本人代表者たちが項里洞中に提出した証明書が保存されている。

証明書

右証明段 大日本 愛媛県漁島 日吉重太郎 日吉米治 横井庄平 大林善作 大林新平等と本洞人で 互相漁業に 雖過幾百年になって 如兄弟之誼で 無弊安過 而追後 若有彼我間に 相違作弊之人であるなら 先為裁判 後に 即報告公庭 依法施行し 日韓人 相約事は 謄録左開するので 以此証明する 事

明治四拾一年五月二日

左開

一 婦人 往来路に 勿為辱悖説する 事
一 漁業 相互 商業する 事
一 洞前で 勿衣脱 依行歩する 事
一 日韓人が 勿為相闘する 事
一 牛犬を 勿為 害傷する 事
大日本愛媛県越智郡漁島村 大林新平(印)(以下六人の名簿省略)

項里洞中 展

旧助羅全景