2007年4月2日
海南新聞
明治41年
9月12日~9月18日

老馬新聞

1908(明治41)年9月12日
●韓海漁業近況


 韓国沿岸における本年度の漁業は天候良好なりしため平年よりも豊収の見込み十分なりしが 従業中海賊の迫害頻繁なるため 今日まで予想の如き好成績を得ず 又清国密漁船の侵入来るも少からず 海賊警戒に当る生駒外三隻の水雷艇は目下厳重に警戒し居れりと



1908(明治41)年9月15日

「クラブ洗粉」の広告文 

 大日本化粧品は益々販路を拡張せり
大韓国皇室の
  
 御料品とクラブ洗粉の光栄
大日本
尊き方々より常に御用忝ふせる
クラブ洗粉は如何なる洗粉よりも優越せる事を
光栄ある近き此事実に依て重ねて証明するものに御座候
本年七月八日(凞隆二年七月八日)恐れ多くも
大韓国 両陛下
御料としてクラブ洗粉
大韓
宮内府上納し奉りたり 尚宮府の
大官
宮内大臣閣下 侍従院卿閣下の両御家
庭に於ても日本の
クラブ洗粉を愛用せらる丶に至れり)

※クラブ洗粉は明治39年発売。現在も売られている。→クラブコスメ オンライン


1908(明治41)年9月18日
▲次第に勃興する▼ 

韓国の日本趣味
 
◎山を品し水を評し花を愛で月を賞むるの風流は固より泰平の余事にして 生存競争の世と一致すべきものにあらざれども 我邦人の先天的に此心に富みて田夫野郎と雖も 尚且つ折に触れて一句を口ずさむが如きは 畢竟天然の地形が詩材に豊かなるを以てなり 然るに韓国に在りては建国以来政治挙がらずして誅求相次踵ぎ 加ふるに屡々内乱外冦の難あり 国民孰れも其の堵を安ぜざりし結果 自暴自棄の念次第に助長され 何時しか天下懶惰の民となり 又山水を楽み花月を憐れむの遑なく 全くの無趣味没風流の国民となれり 日露戦役依頼世界文明の風潮を共に注入されたる日本趣味は 漸く彼国人を威化して風流の何物たるを解する者多きに至り 殊に統監府開設されて中央の多数の本邦人入込みたる以来 寸地尺土と雖も 無為に放棄し置ず 花を植え木を移して 其門戸を飾るを見て 更に韓人の間にも此風を及ぼし 今や中等以下の宅地にも 往々にして仮山泉石の趣を見る程となれり
◎総ての日本殖民地に於て何物が最も早く経営さる丶かと云ふに 大抵公園地の設計を以て筆頭に置くもの丶如し 以て日本人の如何に園芸趣味に長ぜるかを窺ふに足るべし とは 在外某領事官の観察せる処なれば 這は必ずしも園芸趣味のみの結果にあらず 四囲の天然的詩材に拠りて 数千年来陶冶されし自然を愛する思想の実現に外ならず
◎左れば 実を異境に投じても 荒涼たる無趣味の山水に満足せで 第一着に公園の経営に従ふも無理ならねど 釜山、仁川の一角に画せられたる本邦人の追々韓国内地に移住し往きて 彼国人迄も同化しつ丶あるは喜ばしき現象なり
◎伊藤統監は日本より幾多の種子を取り寄せて 花卉を栽培し 又態々櫜駄師
(植木屋)を呼寄せて官邸の庭園を飾り 曽根副統監も日ごろ愛好せる菊を移植して 此秋は彼地に於て秋香会を催し 其中の逸品を韓国皇室にも献上せんとて目下政務の余暇頻に培養に苦心しつ丶あり
◎斯る有様にて今や韓国の上下には造園盆栽等の趣味勃興しつ丶あれば 曩に来朝したる枢密院議長金允植氏も従者と共に東京市中の各公私園を視察して 其整頓せるんに驚嘆され 京城にも早く一の公園を設けて庶民享楽の地と為したしとしきりに希望せし由なるが 去月二十八日向島の百花園を訪ひたる折も太く其設備の行届けるを賞揚し更に一私人の経営に成ると聞きて感激の余り左の一絶を賦して贈りたりと云ふ
余紅万碧媚秋陽
痩蝶寒蛩梭衆芳
如此名園×館領
主人応也不尋常