2007年4月1日
海南新聞
明治41年
9月2日~9月5日

老馬新聞

1908(明治41)年9月2日
●韓皇の御謝電


宮内大臣閔閔丙奭は勅旨を発し伊藤大師に宛て左の電報を発したり((京城電報))
皇太子殿下今回暑中休暇中各地に見学の際陪従して無事帰京せられたるに対し感謝の意を表する胸を奉じて茲に謝電す


1908(明治41)年9月5日

●拓殖経営方針

 東洋拓殖会社事業方針に関し右創立に関係ある某氏は左の如く語れり
直営の事業 本会社創立の目的は云ふ迄もなく韓国の拓殖にありて 所謂荒蕪地を整理して之を良田に化せんとするに外ならず 由来同国荒蕪地なるものは一見毫も良田と異なる所なく 韓国に荒蕪地なしと極言するものさへある程なるが 事実は大いに之に反し 山林の荒廃より一朝洪水あるときは国中の河川一時に氾濫し 為めに沿岸の田畑は忽ちにして原野と化す 故に拓殖の第一義は 先づ河川整理、堤防築造より 遡りて林政の改善を以て根本とすべし 然れども斯くの如きは一営利会社のよくす可きことにあらず 会社の直営の事業としては 当該拓殖地域に於ける道路開鑿 橋梁築造等に依り 各種農産物の搬出に資すると共に 耕耘に便し 以て間接に開発を助長すると共に 模範農園を設けて 之が範を示すが如き最も肝要の事なれば 数個の適当なる設置を見るに至るべく 又た沿岸漁業助長奨励も拓殖の一要義として越年に適当なる準備を施さ丶゛る可からず 其他経営の漸次進むに連れて 同国政府と共に港湾修築鉄道敷設等も之を努むるにいたるべし
移住民選択 同国の拓殖に関し邦人労働者を移して之に当たらしめ 範を示すの要あれば 相当多数の移民を送るに至るべきも 其人員数は未定なり 去れど最初より御祭り的大仕掛の移民を為さず 順を以て着々所期の目的に進むべく 韓国は尚優に大要五百万の人口を容るるの余地あるを疑はず 移民の選択は最も肝要なれば 地方長官に於いて善良なりと認めたる妻帯者にあらざれば採用せざるべく 渡航許可者に対しては田地二町歩の外 凡ての農具、種子、肥料、越年準備其他に充つる為一人平均見積三百五十円の補給をなす予定なれば 専念之に従事せば優に内地中農以上の資産を作る得べし ((記者曰く 本県民にして此選に入るは地理上頗る有利なるべしと信ず)) 而して右移民の結果韓人をして土地と共に彼等の職業を奪ふものとの疑念を抱かしむるの虞なからしむる為め 且つ韓人の経験の余に成れる特点長所ある可きを以て 旁々努めて韓人を使傭し 共同以て拓殖の目的を達するを期すべし
事業完成期 之を要するに当局者の考へにては 明年より向五ヶ年を期し 大略の端緒を開き 大体の輪郭を形成し 然る後更に五ヶ年の日子を以て経営事業の基礎を確定し 続て残余の十ヶ年総計二十ヶ年を以て全部の完成をつげしめん予定なり 尚会社の収益としては同国は内地に比して金利の歩合宜しきを以て 事業の相当に進むなでは仮に資金に対する収益皆無なりとするも 向ふ八年間年額三百万円の補給あるを以て 初年より六朱の配当を為し得べき計算なり 又た拓殖会社経営の進むに連れ 従来個人経営の事業が為めに打撃を受くべしと云ふものあるも杞憂に過ぎず 前期道路、橋梁、河川等の築造其他各般の施設に依り自然此等の余沢に依り寧ろ一層利便を得るに至るべし

1908(明治41)年9月5日 

●沿黒龍江漁場監督規則
 
 露国政府は今般沿黒竜江総督府管内漁場監督規則を制定したる旨 日露漁業協約第九条に依り 在露帝国臨時代理大使落合謙太郎氏を経て 去月二十四日帝国政府に通牒し越したる趣きを以て 其筋よりの申越しに付き 本県各郡漁業組合並に重なる当業者に周知方取計ひ相成度旨 一昨々日内務部長より各郡へ照会せり