1908(明治41)年7月31日

●韓国勲章御贈進

韓国皇太子殿下には二十八日午前十時四十五分伊藤大師御陪乗 鳥居坂の御用邸御出門 青山東宮御所へ行啓 東宮同妃殿下に御対顔 韓国皇帝陛下より御贈進の夫人最高勲章を捧呈せらる 了りて正午両殿下には午餐会を催され韓国皇太子殿下と御会食 伊藤統監以下 村木大夫 一条侍従長 並ぶに随員御陪食仰付らる


1908(明治41)年7月31日

●韓皇儲の御巡啓


韓国皇太子殿下には伊藤大師以下を従へさせれ御見学御避暑を兼ね軍艦にて来る六,七日頃呉に御行啓 引続き須磨、舞子、神戸、伊勢、奈良、京都、名古屋等御巡覧相成こととなりたりと

1908(明治41)年8月8日

●韓国の演劇と妓生


▲韓国の演劇 は極めて幼稚にして演劇といふほどのものにあらず。常設演劇場とては僅に京城に光武台、協律会社の二あるのみなれど、其の設備至つて不完全にして到底劇場の名を冠するべくもあらず。この外に我寄小屋、席亭らしきものは更になく、俳優等が地方巡業の際には総て小屋掛にて演ずる有様、しかしこれとても屈指の都市に過ぎざれば 一般の民衆は演劇の趣味は偖置き 一体劇の何物たるやも解せざるもの多し。尚別に曲芸あれども極めて幼稚にして取立て丶云ふほどのものにあらず。又操仕掛の人形芝居とも見るべきものありて、我邦のと異なる処は人形の口より直接物語りする如く見せしむる点にあれども余り感心したるものにはあらず。
▲舞台の諸道具背景 の如きは不完全ながらも彼の国風に仕組まれあれど廻り舞台などはあらず。囃はすべて演劇中に折々吹奏せられ、楽器は太鼓、笛、鉦、喇叭、筝等なり。
▲俳優 は男子ばかりにして女優と云ふもの更になし。 今彼の地にて最も有名なる演劇の梗概を挙げん。

南原の妓生に春香とて星眼柳眉芳紀十六七ばかりの美人ありけるが×に合せて歌ふ声宛ら玉を転ばす如く 嬌名頗る高かりき、ある時南原郡主の子李道令其の地に名だ丶る蜀雪楼に昇り欄に凭りて四辺の景色を眺め居りしに、遥か彼方楊柳の蔭に佇める春香が艶姿を見 心大いに動きしにより終に両人はうれしき情交となりけるが、まもなく厳父の知る処となり 其の怒りに触れて一室に閉込められ 後父の転任の為一家を挙げ引越したるより、両人は茲に全く逢瀬の機会を失ひ、雨に風に、只追慕の情を寄するのみ。
然るに後任の郡主は就任披露の宴席にて、ふと春香を未たるが其の色香に迷ひて、懸恋の情禁ずる能はず、種々手を廻して口説きたりしも、春香の飽迄貞操を守りて応ぜざるより業を沸し、犯罪に託して張るかを牢屋に閉幽するに至りしが、その不行跡はいつとなく朝廷の知る処となり暗行御使をして郡主の罪悪を探査せしめたり。御使は身を乞食に装へて館の付近を徘徊し詳しく探査を遂げて之を朝廷に報告し、又冤抂に泣きつつありし数人の良民を救ひたるが、春香は御使の李道令なりしを見て其の奇遇に驚き、事故の助けられしを謝し、互に相抱て泣伏すと云ふ段にて其曲終る。

▲妓生の剣舞 は一般韓国にて持て囃さる 韓人の云ふ処によれば、是は鴻門の宴席に於ける樊噲の踊に基くものにて国民尚武の気象を発揮するが故に各処に歓迎せらるなりと力味居れど、例の韓人のことなれば随分怪しきものなり。妓生の演奏に用ふる楽器は琴及び琵琶にして踊は剣舞を主としほかに韓国一流<体操的>の手踊りあり、妓生は略ぼ我芸妓と同じく宴席に侍して琴又は琵琶を弾き歌を謡ひて興を添ふるなれど、宴席に出づれば必ず先づ勧酒の歌を謡ふを例とす、こは我芸妓の御座着とも見るべきものなり、今其の一を挙げん、
チャプシヨ チャプシヨ、イ スル ハンジャン チャプシヨ 
ミヨク、ソヲン、サウンテヲリダ
訳は
受けしゃんせ、受けしゃんせ、此の酒一杯受けしゃんせ
此の酒一杯受けるなら、主の願いは叶いませう 

2007年3月6日
海南新聞
明治41年
7月31日~8月8日


老馬新聞