2007年3月6日
海南新聞
明治41年
6月19日~27日

1908(明治41)年6月19日

●韓国法官の任命

 伊藤統監が韓国統治策として、専ら力を 暴徒の鎮圧と内政の改良に注ぎ、憲兵の像は 駐屯軍の増遣、内閣の改善、観察使の更迭等着々其歩を進めつ丶ありしが、韓国法官任命の一事も既に其主要部分の発表を了へ。司法の改善も今也漸やく其緒に就かんとす、言ふ迄もなく文明国の特色は、人民の身体生命財産の保護全きを得るに在り、韓国が僅少の日子を以て、内治外政頓に其面目を一新し、文明国の伍伴に入るの準備、歩一歩成らんとす。是れ豈我が対韓政策の一大成功にして何ぞ。


1908(明治41)年6月21日

●京城日報の組織変更

 統監府の機関京城日報は創刊既に三年に及び 経費も既に幾万の多額に達したるも 成績思はしからざりしが 今回伊藤祐侃氏及び服部暢氏は同社を退き 中央新聞社の大岡力氏入社し大に社務の発展を図る筈


1908(明治41)年6月21

●韓国の紙幣

 韓国度支部にては 曾て製造中の一円、五円、十円の紙幣は何れも近々竣成するを以て七月一日より先ず一円紙幣を発行し 次で八月一日より五円紙幣を 九月一日とり十円を発行する由らざりしが 今回伊藤祐侃氏及び服部暢氏は同社を退き 中央新聞社の大岡力氏入社し大に社務の発展を図る筈


1908(明治41)年6月24

●出漁信用組合設立

 西宇和郡神松名村同盟組合は今回産業組合組織として 全村を区域として 有限責任神松名遠海出漁信用組合と改称し 清韓其他へ出漁するもの丶便宜を図ることとなり 昨日其設置認可を申請したり


1908(明治41)年6月25日

●日韓瓦斯事業着手

 韓国竜山に設立せらるべき日韓瓦斯株式会社は証拠金二円五十銭払込後 一般経済界の不況と 機械購入に関し欧米機械製造所との交渉能く運ばざりしとより 空しく今日に至りたるが 財界にも昨今稍回復の兆あり 又機械購入に関しても独逸某会社と誓約成立したるよしにて 二十三日東京瓦斯株式会社に於いて設立委員会を開き第一回払込其他種々協議を・・・(40字ほど読み取れず)・・・込みを為さしめ七十五万円を以て直ちに工事に着手し 本年土中に瓦斯供給を開始する見込みなりと 因に韓国帝室申込株は三千株なりしを今回五千株に増加し 日本帝室に於ても二千株程御所有に相成る筈


1908(明治41)年6月26日

●韓国馬山付近 鯖漁況

 西宇和郡神松名村同盟組合の韓海出漁者は本年は大敷網を欲知島に配置して鯖漁を試みしに 陸地近く群遊すること頗る夥多しく 安島 羅老島間に於ける漁業者は 多きは一人千五百円 少なきも八百円を下らざる豊漁なりしといふ


1908(明治41)年6月27日

●本県の遠海出漁成績

 昨年中本県に於ける遠海出漁の成績を聞くに 船数百三艘 此人員千九百三十七人、漁獲高三十四万五千八百五十八円二十一銭にして 前年に比せば船数百二十九艘、人員五百九十二人、漁獲高六万六千五百五十七円二十一銭増加せりと


1908(明治41)年6月27日

●斉藤水産課長

 は去る六日 松山出発 門司港より羽田野大分県水産課長と同行にて 十日大連に到達し直ちに関東州の漁業視察を為し 十六日再び同地に帰着し 汽船にて韓国仁川に到り 廿二日京城に赴き 同国の水産業を視察し 夫れより巨済島方面に向かひたつ筈なり


1908(明治41)年6月30日

●韓国経営方針

 統監府の政策は従来主として中央部に全力を注ぎ 宮中の郭清 内閣の操縦指導などには 着々奏効せるも 内地各地方に渉りては 其の成案未だ所期の如くならざるものあり 是れ固より歳月の短少と 中央政局の時事頻繁にして 此れに覉せられたるに由るべきも 或一面より見るときは 今日の場合京城以外に統監府の政治無しとも云ふべき観あり 地方の暴動、人心の動揺は 多くは此間の消息に出るもの丶如し 是等の事情漸く判明すると共に 近時統監府に於ては 最も地方に重きを措き 地方行政の刷新に依り 韓国経営の基礎を確立せんとし 其第一着手として 観察使の更迭 郡守任用令の制定等を見るに至りたるものにて 是は施政方針の変更と云ふ程に非ざるも 兎に角統監府の一転進と見るを得べしと

老馬新聞