2007年3月6日 |
海南新聞 明治41年 5月26日~6月6日 |
1908(明治41)年5月26日
●北韓 清津湾の有望
昨日北韓より帰来せる某氏は 新開港場清津につき語りて曰く 清津港は北韓に於ける枢要地として我が陸軍の駐屯地たる鏡城を控へ 同地以北の貿易貨物は是れまで車馬に因りて元山に回送され 同地にて漸く汽船に積込れたるを 四月一日よりは清津の開港されたるより 是等貨物は勢ひ同港に移り 或は他日元山港を圧するに至るべく 将来頗る有望の港なるを以て 大坂商船は北韓航路を同港まで延長し 郵船会社にても×(城?)津港を廃し同地に寄港するに至り 俄に同港を注目するに至りたるが 目下は北韓暴徒蜂起の為め 貨物の運送自由ならず 旁々未だ著しき発達を見ざるも 今回暴徒の為め派遣兵もありし事とて其鎮定の暁きには蓋し朝鮮に於ける新開港として大いに面目を発揮する処あらん云々
1908(明治41)年6月3日
●出漁組合設立申請1908(明治41)年6月4日
●韓国珍島の暴動1908(明治41)年6月6日
●大使の移民談