2007年3月6日
海南新聞
明治41年
5月13日

老馬新聞

1908(明治41)年5月13日 

●韓半島便り

▲経済界の恐慌 在韓十万の我居留民は今や経済難に苦しめられつつあり、京城、仁川、釜山等の大居留地は勿論 各地散在の小居留地に至る迄 著しき経済界の恐慌を来して居る、

今之が原因を調ぶるに最も大原因をする処は 地方に暴徒の蜂起せるに依る、即ち韓国唯一の産物たる米豆の取引は之れが為め途絶し 其他田舎に入り込みて種々なる産物を開港場へ買出す邦人商人は危険な為め殆ど後を跡を絶つた、

其上居留地へは内地から無謀の徒が入込む、戦争当時の繁盛熱に浮されて 総ての仕掛けが不格好な程大規模である 然るに商業が振はない、破産者が殖える 銀行は貸出を渋つて回収に努め、金融は逼迫しを告げる 実に混沌たる現下の状態である 若し此侭推移せば 恐る可き破綻を醸すならんと識者は眉を顰め 各商団体は協議を懲らしつ丶ある

暴徒は益々蔓延 然るに地方の暴徒は益益蔓延し 各居留地付近に頻々として出没し惨害に罹る邦人は沢山ある、 当局者は討伐に腐心するも現今の有様にては 到底三年やご念で沈静する見込みがない、 暴徒の鎮定せざる限り邦人の発展は望みがない 徒らに天然の宝庫を荒蕪に帰せしむるのみだ

鎮定する方法 目下の如き優柔不断なる遣口では到底暴徒の鎮定を望む事は出来ない 此際多数の軍隊を派して当時の台湾に於けるが如く 大々的討伐を決行し 傍ら無頼の民に職業を授くる事に努めたならば鎮定は決して困難でない、 韓内地の暴徒は世人の云ふが如く斯かく政治的意味を有せない 生活の出来ざる為め 名を義兵に仮る一種の強盗である、 故に討伐で威力を示し一方職を与へて生活を容易ならしめば 何ぞ好んで暴動を為さんや

無謀の渡韓者 近来内地より続々渡韓する者の中に 何等の職業なく且つ無資産の徒頗る多く 為めに渡韓後職を得る能はず 往々道路に飢を訴ふ者あり 韓国に於ける状態は内地と何等異なる所なし 渡韓して一攫千金を為さんと無謀なる企てをなして来る者は大いなる間違なり、 つい先頃神戸にて商業に従事し居たるも失敗をなし 他人に多大の迷惑を掛けたる挙句 漸く肩身煮の旅費を携へて仁川に来り 数日流浪せしも遂に為す所なく仝県人に泣付いて旅費を借り 再び郷里へ立ち帰つた人がある、 斯かる試しは近来数ある話だ、 茲に於て吾人は思ふ 韓内地に資力を投じ永遠に富源を求めんとする人 及びてに職を有し新に開拓せらる丶事業に携はり得る人以外に喰潰しの渡韓は大の禁物であると

各沿岸の漁業 陸上に於ける事業は以上の如く頗る悲観を呈し居れるが 海上の利源は亦趣を異にして居る 昨今邦人の漁業に従事するもの頗る多く、全羅南道群山沖の蝟島付近は今や漁船で満されて居る、この漁業者は何れも九州西部の漁民及び山口、広島、愛媛辺の人である 就中大多数は佐賀県で仝県よりは監督の為め県の属官や水産組合の技手抔も来て居る、目下の漁獲物はグチと×が一番多い様だ 追々鯛、鰆の漁季が近づいて来た 香川県の人近藤利済氏が所有する小富士丸は 佐賀県水産組の依頼に応じ蝟島付近に至り是等の魚類を積載して群山及び仁川に運び大いに利便を与へて居る、従来の悪弊と云ふ可きは漁季の当時沿岸より多数の船舶是が買占に出掛け殆んど只の如く安価に買占める、されど漁夫の方にては沿岸に
(?)往復するには日数を要するために無茶苦茶に売り飛ばす事となつて居る 然るに小富士丸一度来たりて斯様な馬鹿な事はなく 何れも多大の利益を得て居る、亦た小富士丸には冷蔵輸送の仕掛あれば 今後は鯛鰆の類を内地に輸送するはずだ、今や韓海漁獲の富は年々幾百万円と称せらる 到底一艘や二艘の小蒸気では運搬し切れず 偉利は沢山腐敗しつ丶あり 吾人は県下水産家の大に奮発を望む者である