1908(明治41)年4月14日 

●英人の対韓策評
 英人マツケンジー氏はサンデー、ストランド紙上 日本の対韓策に関しを言を為して曰く 日本は既往四年間に友邦たつ名の下に 其国の独立維持を厳かに誓約して韓国の領土を保全し 輙ち領土を保全しつ丶其の独立を破り 其皇帝を廃立し 専制略奪残忍不正の制度を建てたり 此語酷なりと雖も事実をして之を支持せしめよ 即ち韓国に於ては 日本人は英人を放逐し 基督教徒を圧倒しつ丶あり 吾人は此に強き人種の弱き人種を圧服し 非基督教人種の早晩将に基督教民たらんとする一人種を抑制し 世界文明強国に伍せんことを要求する人民に依て善視せらる丶残忍及不正の一事件を有す 此等の人民は我同盟国民なり 是れ個人たる吾人の抗議に依り国民たる吾人の忠言により 日本か韓国に於て為しつ丶あるが如きことを行ふは 自ら其名誉を汚損し 其勢力を衰微せしめ 及総て昨今我国
(英国)より之を払ひたる尊敬を速やかに消滅に帰せしむるものなるを示すは 国民の当に取るべき所なりと

1908(明治41)年5月15日
●副統監参内
今般韓国より帰朝の曽根副統監は十二日午前十時三十分参内 御座所に於て拝謁仰付けられ 韓国の近状に就いて委曲上聞に達し正午退出せり

1908(明治41)年5月15日
●水集産談会彙報 ▲開会御順序は第一日((二十五日))午前十時開会式挙行 其順序は振鈴に依り 一同会場参集 (一)主催者挨拶 (二)主催県知事(三)祝辞・・・中略・・・又統監府よりは技師林駒生氏臨席講話するとのことなるべしと

1908(明治41)年5月16日
●韓国土地丈量(※土地測量及び検地)
▲韓国に於ては 未だ土地の調査を無したる事なきため 土地台帳なきは勿論 同国の地積が果たして幾何なるやも分明ならず 故に 税源の上より見るも 亦諸般の計画を立つる上より見るも 土地整理は目下の急務たり 韓国地税の沿革を査するに 万暦壬辰時代((三百余年前))に於ては145万9千余結ありとして相当の徴税成績を収めたるもの 今年に 於て九十九万結 即ち四十万結の減額を示せる如きは 頗る奇なる現象にして 果して万暦の当時前期の結数ありしとすれば 爾来人口の増加、農作力の増進に連れ故なく左結数の減少を見る理なし
▲韓国土地整理の必要は何人も認むる所なりと雖も 其業容易ならず 随つて之を行ふに莫大な経費を要するは勿論 諸般の準備を要す 而して韓国政府に 於ては既に計画を立て 平壌、大邱、京城等に測量技師養成所を設け 他日着手の場合に 於ては直ちに之を採用し事の進捗を図るべく準備しつつあり
▲之に充つべき財源は目下当局に 於て研究中に属するも 多大の新財源を今日立地
(たちどころ)に発見すること能はざるは勿論にして 結局借款に依るの外道なかるべく 経費は丈量、精粗如何に依るも 先づ千一二百万円の見込みにて 期間は五六年の予定なり 而して丈量の方針は耕地、市街地等を主として 山林、荒廃地は其大体に止むべし
▲其着手は未だ決せざるも 土地丈量の如き事業は 民情平静の時期に行ふべきものにして 今日の如く暴動盛んなる際には却つて民心動揺の恐あり 現に日本に 於ても 往年政府が丈量に着手するや 地方民中には大いに政府の趣旨を誤解して百姓一揆など起せし処もありたり 斯る事情もあれば愈々来年より着手すとは断定し難きも準備は着々として進捗せる由

1908(明治41)年5月16日
●伊藤統監の帰朝
伊藤統監は曽根副統監の来月中帰任を待つ帰朝の予定なりしも 急に日取りを繰上げ 本月下旬頃帰朝する事に確定せり 右は暴徒掃蕩に関して危害統監の身辺に迫れると 更に韓国問題に就き重要事件の生じたるに由る

1908(明治41)年5月17日
●韓国憲兵増員
韓国憲兵隊は現在約千九百余名にして 内約九十名の間島在留邦人保護の任に在るものを除き 其の他は韓国内地各方面に分屯し 軍隊警察と連絡行動しつ丶あるが 特別常例の示す処に於て憲兵を使用するは 現時韓国に於て 効果の的確なる事 遥に普通警察の上に在るのみならず 憲兵隊の配備 完成せば 後来永く駐韓軍の数を減少し得べきを以て 統監府は軍事当局者と交渉の上 更に増加して約三千五百に達せしめ 内約三個中隊に相当する乗馬憲兵を設くべしと

1908(明治41)年5月16日
●大韓毎日 押収
英人ベッセルの経営せる大韓毎日申報は十四日の紙上に伊藤統監の対韓政策に反対の論説を揚げ 内部大臣より治安妨害と認め 発売頒付を禁じ新聞は押収されたり
2007年3月6日
海南新聞
明治41年
5月14日~17日

老馬新聞