2007年3月6日
海南新聞
明治41年
4月5日

老馬新聞

1908(明治41)年4月5日 

●韓国の大陰謀
京城よりの密報に依れば楊州県の暴徒は 伊藤統監、宋農相、内田一進会顧問を 京城に帰任の途中慶尚南道清道駅((大邱の七里手前))に要撃し 若し同処にて不成功に終らば更に忠清道平沢駅に再挙 暗殺の陰謀を企て居るを探知し 当局者は統監帰途を厳重に警戒せしめつ丶ありと云ふ 尚該陰謀はスチーブンス氏の殺害陰謀と東西気脈を通じ居れる形跡ありと云ふ 因に暴徒は平素より韓国を滅す巨魁として 宋農相 李容九 ((一進会会長))内田良平、伊藤統監、長谷川司令官の五氏を数へ 就中、宋、内田両氏を元凶と称し宋氏は殺害を以て甘心せず 其肉を啖ふ可しと声言し居れりと

※この当時、後に伊藤博文を射殺することになる安重根は仲間と共に義兵運動に参加していた。上の記事の直前2月21日付けのウラジオストックの朝鮮語新聞に安重根の次のような詩が掲載されたという(『伊藤博文はなぜ殺されたか』鹿島海馬著 三一書房 1995年)。

今、我々の祖国は倭奴の略奪するところとなった
倭奴のために我々の内情を探って通報し、忠義の同胞を狩り出して、倭賊のために殺している裏切り者を思えば、怒りは天を突くものがある
祖国の山河を臨めば同胞は死に至り、罪なき祖先の白骨は暴かれ、その悲嘆は聞くに耐えない
ロシアにいる同胞よ 目覚めよ
祖国の消息に耳を傾けよ
君等の家族、親族は祖国にいるではないか。
祖先の墳墓は母国の山河にあるではないか
根が枯れれば葉も枯れる
祖先や血族は恥辱を受けている
己の身をどう処すべきか
同胞の不和を打破して、結合を養い、子女を教育し、青年兄弟は死を決意して、速やかに国権を回復して、高くわが”大極旗”を掲げて、妻子、親族を連れて独立を果たそう
一心同体、六大州を振動させるほど大きな声で”大韓国”の万歳を唱えようではないか


1908(明治41)年4月5日
●韓皇太子の統監御見送
韓国皇太子殿下には伊藤統監韓国への帰任につき御見送のため二日午前末松御教養掛及び趙武官長等を随へ大磯へ成らせられたり

1908(明治41)年4月5日
●統監の御土産
伊藤統監は今回の帰任を機会に韓国皇太子殿下御留学中の模様其他の御近況を活動写真に数葉に収め 韓国皇帝、皇后、太皇帝三陛下並厳妃に献上する由 同写真は御用邸内御生活の御模様、新浜鴨猟の御実況等撮影したるものなりと

1908(明治41)年4月5日
●間島出張所の開設
韓国間島には従来統監府の吏員出張し居れるも右等の経費は予算を以て要求しあらざるに依り 機密費の中より支弁し来りたるが 本議会に 於て同出張所へ経費八百円の協賛をえたるを以て近々所長を任命し一切の機関を組織し開所の運に至るべしと