2007年2月26日 |
海南新聞
明治41年
4月1日~4日
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老馬新聞
1908(明治41)年4月1日
▲二十万円贈与
韓国顧問スチーブンス氏遺族に対し 我政府は同氏生前の功労に酬いる為め金十五万円を 韓国国政府は同く五万円を贈与する由
※スチーブンス韓国政府顧問として韓国人に対して「日本の保護を受くるは汝等韓民の幸福なり」と強弁したために韓国人に暗殺された。
1908(明治41)年4月1日
●韓国紳士の日本巡視
朝鮮タイムス社の主催にて日韓両国々交の親善を図り相互の福利を増進せしむる目的にて韓国紳士日本巡遊会なるものを組織し会員は仁川港を中心として各地方に渉り 韓国商業家中より募集し 来る四月中旬を以て仁川出発 釜山を経て門司に上陸 鉄路福岡、唐津、長崎等を視察し 下の関に渡り 其れより鉄路宮島、広島、岡山、神戸、大坂、京都、名古屋、四日市、静岡、横浜、大磯を経て入京 最後に日光に遊び 直行帰仁する由
1908(明治41)年4月1日
●韓国移住漁業
韓国移住漁業 西宇和郡二木生村大字二及 和泉政吉外八戸の漁業者は 今回韓国巨済島に移住して漁業を営むこととなりしに付遠海出漁団体聯合会より夫々補助金を交付する由
(※ 二及(にぎゅう)は現在西予市三瓶町二及)
1908(明治41)年4月2日
●統監と副統監
伊藤統監は四月十日を期し 韓国に帰任するに就き 曽根副統監は韓国の事情奏上の為 同日二十日同地出発 帰京する予定なりと
1908(明治41)年4月3日
●伊藤統監
三十一日午前大森を発して大磯に帰り渡韓すべし。
1908(明治41)年4月3日
●外国貿易国別
貿易月評に依りて主なる輸出入国別額を昨年同期に比すれば左の如く 輸入に在りては韓国、仏国及香港に 於て多少減退し 其他は何れも増加せるに 輸出に在りては韓国及び英国、印度に
於て増加せるも其他の諸国に対しては何れも著しき減少を示し 殊に清国対する輸出最も不振を示せり
(▲減)
輸出国別 |
本年(円) |
・ |
前年比較増(円) |
清国 |
8,557,559 |
▲ |
3,929,273 |
韓国 |
3,729,647 |
|
1,236,620 |
英国 |
3,472,658 |
▲ |
812,228 |
仏国 |
4,348,205 |
▲ |
1,856,230 |
独逸 |
4,348,205 |
▲ |
529,604 |
香港 |
3,112,748 |
▲ |
1,049,015 |
英領印度 |
2,562,558 |
|
1,050,451 |
輸入国別 |
本年(円) |
|
前年比較増(円) |
清国 |
11,074,573 |
|
1,964,048 |
韓国 |
3,158,545 |
▲ |
862,348 |
英国 |
20,468,925 |
|
3,742,173 |
仏国 |
743,053 |
▲ |
359,606 |
独逸 |
9,618,845 |
|
3,288,126 |
香港 |
465,284 |
▲ |
398,885 |
英領印度 |
10,486,561 |
|
796,561 |
※清国への輸出の不振には第二辰丸事件を契機とする中国人民の日貨排斥運動の深刻さが反映されている。
1908(明治41)年4月3日
●東洋拓殖彙報
東洋拓殖会社にては早晩選定さるべき創立委員より若干の常務委員を設け 尚常務委員中より二名以上の感じを選出して創立事務に当たらしむ予定なりと ▲目下創立委員の仁川すら未決定なれば諸般の準備整頓し 株式を募集して これを創立せしむる迄には少くとも今後三ヶ月くらいを要すべきに 世間にては同社に関する法案の議会通過と同時に既に成立せられたるやに思ふものありてか 韓国仁川、木浦、京城、釜山その他各地の実業家及び組合団等より 早くも歓迎の意を表し祝電又は諸種の希望を東洋協会に宛て寄せ来るもの頗る多く 内地に於ても 韓国移住の計画盛んに起こり 就中 四国、九州等よりは続々同協会に対し移住希望の旨を申告し来りまた上州高山者を中心となせる養蚕家の一団も今回三百余名一団となつて韓国に移住し専ら模範的養蚕業を起こさんとの申込ある由にて前景気は頗る好望なりといふ