2007年3月6日
海南新聞
明治41年
3月29日

老馬新聞


1908(明治41)年3月29日 

●邦人殺さる
木浦通信によれば二十日暴徒康津に現れ折柄商用にて出張中なりし邦人二名殺され一名重傷を負へりと

1908(明治41)年3月29日 

●韓国道路の大改修
▲各主要都市を離れ一歩韓国内地を踏みたる人は孰れも知悉する如く 韓国には道路らしき道路は殆ど皆無と云つて可なり 日清日露両戦役の為め 我軍隊に依りて開通せられたるもの丶外は何れも漸次に踏み分けられて僅に道路の形状を為せるに過ぎず 若し夫韓国内地に現在日本内地位の程度に道路を開通線とせば数億円の巨資を投ぜざ可らず 一年僅に一千万円の収入あるに過ぎざる韓国財政を以てしては到底企画し得べきに非ず 依つて従来の予定道路たる
大邱延日間、木浦光州間、群山全州間、鎮南浦平壌間改修の外、比較的急要なる左の七道路を今回新に起工する事となれり
海州・・竜頭浦間
海州・・寧辺間
(義?)州・・新義州間
晋江・・馬山間
松井里・・公州間
水原・・利川間
義州・・海岸間
▲此新道路工事は財政上頗る重大なるものあれば勿論 内定し居るもの丶尚調査を要する廉
(かど)あり 本月中に万事を所決して来月上旬より工事に着手すべく 而して此七道路はは全道に区分せられ 何れも比較的急要なるに相違なきも 一方今尚書く地方に暴徒騒動ありて 現在は殆んど政治的意味を有するもの僅に十中の一二に過ぎず 他は悉く 一定の職業なくして 衣食に窮するの余り付和雷同し掠奪を目的とする者なるに依り 斯る遊民に職を与へ一定の収入を得せしむる時は根本的に鎮圧するを得べしとの趣意により此工事を企てたるなりと云ふ
▲前述の如く今回新起工の七道路は成るべく偏頗なきやう各道に選配せられたるものにして 北韓よりすれば 第一は平安北道義州府より新義州停車場に至るもの、第二は同じく寧辺より海州停車場に出づるもの、第三は黄海道黄州より大同江の下流海岸に通ずるもの、第四は黄海道の海州より海辺の竜頭浦に出づるもの、第五は京畿道の水原停車場より利川に至るもの、第六は忠清南道公州より松井里停車場に通ずるものにして 第七は慶尚南道の晋州府より馬山浦に通ずるものなるが 其内
新義州・・・義州間
海州・・・寧辺間

黄州・・・海岸間
海州・・・竜頭浦間
は何れも市街よち停車場若くは海岸に通ずる短距離なるにより来四月に起工する時は今秋迄には竣成すべきもの
水原・・・利川間
晋州・・・馬山間
公州・・・松井里間
の三道路は比較的長距離なるが故に今年の冬期前には終了すること能はざる(数字後可記)