2007年3月6日
海南新聞
明治41年
3月26日~28日

老馬新聞

1908(明治41)年3月26日 

●韓国勲章受領
当二十二連隊長藤井大佐は本月十二日付を以て韓国勳三等大極章を受領し及佩用することを許可されたり

1908(明治41)年3月26日
●移住漁業補助
西条町野島大吉、久岡浪吉両名は韓国へ、藤田音松、矢原甚太郎両名は関東州へ何れも移住漁業を為すこととなり 各補助五十円を聯合会より交付せられたり

1908(明治41)年3月26日
●鯛業餌料漁応募
 関東州水産組合にては鯛業の餌料手長章魚を漁るものを募集中なりしが本県宮窪村より斯業に堪能なるものを派することとなりたりと

1908(明治41)年3月27日
●伊藤公出発期
 伊藤公は三十日東京を発し、来月二日大磯出発韓国へ帰任に決定す

1908(明治41)年3月28日

●南米航路の廃止
 東洋拓殖会社の南米航路は同地にて支那人に多額の入国税を課したる結果支那人の渡航を減少 到底引合はざるを以て 同航路に充てたる汽船二隻のうち笠戸丸は来月二日頃横浜帰着の上 皇国殖民会社の委託に依りブラジル行移民を搭載して今一航海と為したる後 直ちに海軍省に返却し 他一隻のカザリンパーク号は南米を出帆して帰港の途に在るにより横浜着の上は英国の借入先返却する筈にて全く南米航路を廃止する由なり

1908(明治41)年3月28日
●韓賊の豪語
 群山守備隊長川端少尉の率ゐる討伐隊は過日益山及砺山方面の賊巣を偵察し 帰群の途次咸悦郡東面三峙居住の賊の首領鄭益三((三十六))を捕へ咸悦巡査出張所へ引渡したつがこの鄭益三は他の同僚二名と共に部下を率ゐ之れまで益山地方を荒らしたる草賊の首魁なるが鳥居中尉の尋問に対し居丈高になりて豪語したる次第を聞くに 「我義によりて兵を挙げ櫛風沐雨の辛酸を辞せざるもの 一に韓国を其滅亡より救はんとする一片の忠誠のみ 今や時利あらずして累絏の辱めを受く 遺憾極まりなしと雖も命なり 如何ともする能はず 一死固より期する所 只汝が輩の銃丸に中りて死するは我恥辱なり 願くば我を京城に護送し伊藤統監に会せしめよ 我大義を説きて統監の蒙を啓かん 然る後刑に就くも又恨むる所なし云々」と豪語し気焔を揚ぐこと一方ならざりしが遂に全州隊に護送せられ同地に 於て処分を受くる筈と(郡山通信)