2007年2月25日
海南新聞
明治41年
3月4日~5日

老馬新聞

1908(明治41)年3月4日 

●我移民の大発展地
南米移民契約成る 太平洋の彼岸なる合衆国及加奈陀(
カナダ)両国は従来我移民の最も有利地として渡航運命を開拓せし所なるが 過去七八年来排日熱は年と共に嵩し 僅かに中央政府の威力を以て各洲決議の法案抑止したるも 遂に一昨年勃発して彼我両政府の交渉となり 我政府は布哇(ハワイ)墨西哥(メキシコ)よりの転航を禁じ 次で労働者の渡米又絶対に禁ぜられ 布墨(ハワイとメキシコ)の両国に対する移民も亦或は渡航禁止を断行せんとするの風あり 
比律賓(
フィリピン)は移民の需要ありも故障多く 我国民は海外渡航によりて富と幸福を得るを渇望しつつあるも 世界の各地は我国民を除外せんとし 移民保護法あるも殆んど保護すべき必要なき迄に我移民を許可せず 我国は殆んど島帝国に蟄伏するの外なからんとす 
此時に際し皇国殖民合資会社水野龍氏は南米に渡航し伯剌西爾(
ブラジル)サンパウロ州及びリオデジ子イロ(リオデジャネイロ州と移民及び殖民契約を締結し南米発展の端を開始せんとす 新発展地は如何なる地ぞ 云々

同日 1908(明治41)年3月5日
●移住漁民根拠地選定
本県遠海出漁連合会にては今回韓国に於いて本県移住漁民の為に根拠地を作ることとなり来る十日頃赤松泰苞氏を派遣して其選定を為す由なり

(注:あかまつやすしげ 1854~1922 宇和郡川名津浦生まれ 長崎裁判所検事 初代畑地村<現津島町>村長を経て県会議員となる 南予の鉄道誘致運動にも活躍 宇和島地方における自由民権運動の草分け 以上「愛媛県百科大事典」による)