2007年2月22日
海南新聞
明治41年1月7日~8日

1908(明治41)年1月7日 

太田と大邱 於京釜線大邱 
今井蓼洲
朝鮮日日新聞社 主筆だそうだ
(二)模範的小日本


韓国に於ける日本人の居留地は政府の力又は軍隊の力によりて他働的に発展したものが多い、仁川、釜山、元山、木浦、群山、鎮南浦の如き開港場は政府の力で領事館を置き、理事庁を置き、警察を置き、軍隊を置き以て邦人の経営に多大の保護を与えて居る、平壌の如き、新義州の如き、竜山の如き、大邱の如き、馬山の如き、城津の如きは軍隊若しくは鉄道の恩恵に浴して今日の発達を示して居るが、太田の如き、江景の如きはなんら政府又は軍隊の保護恩恵に浴せず、自働的に自治的に一居留地を建設したので、道路の如きも無論居留民の寄付金で作り、学校も、避病院も、消防機械も悉く寄付金で成り立っている、即ち太田は韓国に於ける一小独立国の体をなして居るのである、然るに今日まで一人として犯罪を構成したものがない、伝染病にかかったものがない、借金をして人を踏み倒したものがない、極めて秩序あり、節制あり、穏健な居留地である、吾人は未開なる韓国に於て此模範的小日本の在るのは偶々以て日本人民の自治力に富み。創造力に富める、殖民的成功者たることを疑はぬのである。太田の成功者は曰く 僕は此地に来た時に一円三十九銭を余すのみであつたが今では立派な商店を開き家も先日新築した、乙は曰く 私は二三年前日本から鍬一丁と妻とを伴れて此地へ来ましたが 今では田も二三町歩出来ました、畑も一丁ばかり買ひました、と 太田在留民の多くは大概無資本無資力の人である、斯くの如き人々が今日の立派な太田を造り上げたのである、年々人口五十万ずつを増殖し人口の過多に苦しみつ丶あるは私が祖国の状態である、此くの如き極楽的居留民、此の如き模範的居留地を韓国の至る所に創造するのは私が国の勢力を韓国に扶殖する所以で亦た大和民族の天職ではあるまいか。

1908(明治41)年1月8日
台湾及韓国の兵備
我軍事当局者間に台湾防衛のために土民兵を徴募訓練し以て本土民の兵役負担を軽減せんとするの計画あり 昨年十月訓令を以て他日における台湾師団の基礎を作りたるが 今又更に確聞するところによれば同地に新に徴兵管区を設定し 居住本土人及び台湾土民を徴募し 同地において兵役に服せしむること丶し 之を師団編成とすべく 又韓国においても 日韓協約に依り 同地駐屯の我軍隊は同地居住邦人を徴募し 以て漸次師団の交換派遣を廃止することとし 来四十二年度より実行着手する筈なりといふ

同日 1908(明治41)年1月8日
年頭小記
◎一軸
(?)一転年茲に新たまり、明治の齢も積んで、早四十一歳となれり、個人に取つても四十一歳は男子の活動盛りにて、人生の最も多事多端なる頃なり、我国古来四十一歳を初老と称し之を祝ふの風あり、この初老の祝に就いても諺に 六十一の祝は子が祝うてくれるも、四十一の祝は自ら祝はざる可からず とさへ云へり、四十一歳は正に成熟の絶頂にて、力量盛り、分別盛り、活動盛りなり 通例は三四人の子女を有すれども、是等の重荷を主にとせず、力限り根限り勇戦奮闘以て一家の幸福快楽を増進せんと期す、国家の無窮なる寿命に取ては四十一年の歳月は誠に語るに値せざる瞬間時なれども、我が明治四十一年の国情は恰も男子四十一歳の紛糾多事なる時期似たる点なしとせず 我邦は今や台湾、樺太、韓国満州などいふ子弟の世話を焼くべきものあり 我が日本帝国は是等の子弟を教養して他国の笑ひを受けぬやうするの義務あるなり、対加那太及び桑港の移民問題と云ひ、清国の利権問題と云ひ、面倒なる問題は際限もなくあるなり。然れども我が日本帝国の国民たる者はこの多艱多事なる帝国の運命を幾分にも是を負荷するを以て男子の面目と考え、勇進又た勇進以て国家の隆昌を期せざる可からず
◎机上新年の新聞積んで堆し、一目
(?)に古しといへ誤評ならんが、所謂閑文字のみ多きは何れも同様なり、申の歳なればにや猿の画、猿の話最も多し、然れば石川千代根坪井正五郎の諸氏及び古人の狙(?)仙などの当り年なり、知らず人類学及び動物学等の書物は売行よきや否や、
◎十年前の新年号には年始欠礼の広告をみること多かりしが近時この広告は大いに減じたり 東京の諸新聞紙は申合したる如く何れも本年は紙面を多くせざりしが如し、「東京」、「朝日」、「国民」の如き平日八頁の新聞も僅に十六頁の新聞を出せしのみ、但し関西の新聞は例に由て厖大なる新聞を出したるごとし、我が「海南」が三十六頁の新聞を出したるは編輯員の労尋常ならざるものありしなるべし 就中二十三頁余の広告を得たるは新聞の信用厚きにも由るべけれど、広告部の活動察するに余りあり
◎今年は代議士改選の年なり、政界の勇士今や対選挙準備に忙しきことなるべし、今年は韓国太皇帝も或は渡来せらる丶の運びになるやも知れず、今年は韓国拓殖会社成立して殖民的活動の実を見るべくい、今年は官制改正により関東州の行政に幾分面目の新たなるものあるべし、余は是等の事件の全く旨く行はると共に、商売繁盛、五穀豊作ならんことを祈る

同日 1908(明治41)年1月8日
●遠海出漁講話
臘(※)末来県したる関東州水産技師早乙女忠国氏は来る十二日午後一時より温泉郡新浜村字高浜に於て遠海出漁奨励の為め講話するといふ
老馬新聞