2007年2月19日
海南新聞
明治41年2月9日
老馬新聞

1908年2月9日 亜細亜帝国主義 日本の海外政策と併呑主義 露紙の中傷的筆鋒 

近着ノーヴイエ、ヴレーミヤは其社説に於て「ミカドの勅語」と題し、先づ我帝国議会開院式の際に於ける勅語の内 対外関係に関する一部を評して 事実と相違せる甚だしき楽観なり と言ひ 先ず筆を日米問題に出だして
太平洋対岸における日本の失敗は、実際に於ては勅語に述べられしよりも重大の価値を有するものなり。カリフオルニヤ及びカナダに於ける最近の事件は是迄日本人が米国に於て利用したる限りなき利権を全然断滅するものなり、勅語に 於ては日米問題が近く良好の解決を見るが如く伝えらるると雖も、其の解決たるや必ず日本人をして多大なる幾多の利権を失はしめ 且つ日本の国民的感情に癒すべからざる痛傷とも齎すところの原理に基くものなるべし。
と述べ、其より筆を転じて東洋問題に移り日本の対韓政策及び対清政策を揣摩して、
日本政府は太平洋対岸で失ふて其賠償を亜細亜大陸に求めつつあり。この大陸に 於て日本政府は国民的自愛心に対する何等の反抗をも見ず、又此処には彼れの国民的活動と国家的膨張に対して 何等物質的の障碍なし 吾人は屡々朝鮮が次第に日本の版図に帰しつつある事を述べたり。勿論朝鮮の住民は其の国民的乃至国家的意味に 於て 其の政治家社会よりも遥かに秀でたり 然れども国家の組織不完全にして 彼等は久しく独立的行動を失ひ、内は殆んど無備の姿にして、彼等は且つ其の従ふべき指導者を有せざるなり。されば彼等も亦近き将来に 於ては其の宮廷官吏と同じく意思を枉げてむなしく征服者の下に服せん。日本の衛戍兵は朝鮮全土に配布せられ、弾圧政策は日ならずして凡ての騒乱を掃蕩すべし。然ども呑噬したる朝鮮を消化せんが為に日本は少なからぬ時日を要すべし。今や日本の指導者等は其消化作用を何人にも妨げしめざらんが為に有ゆる方法を講じつつあり。日本の皇帝陛下は朝鮮の隣国たる清国の怒りを恐れ給へり。日本軍隊は朝鮮の北方を固めつ丶清国領土の一部を占領し、秩序の維持を名としてなかなかに之を放棄するの意なし。却て日本は万一を期して之れが警戒の為警備隊の名目の下に軍隊を占領地に増派しつつあり。朝鮮に続いて日本の有に帰すべきは満州なり。日本島帝国は踵を大陸に立て丶公然茲に永久の城壁を築かんとの意思を現せり。嗚呼危うい哉、海豚は既に海馬と為り、今や海獅子とならんとす。
と述べ、更に進んで大隈伯の演説に基き、日本の帝国主義が今や亜細亜全体を併呑せんとする勢に論及して
海獅子(日本)は其住所を安固にせんが為に広く手を延ばしつつあり。日本=亜細亜帝国主義の公布者たるに本の煽動者等は支那、印度支那は勿論印度本国にまで入り来れり。大隈伯は近頃印度と日本の貿易的占領の目的と為すべしてふ演説を試みしが、此演説は人々の思惟せるよりも重大なる意義を有す。日本政府は大英国の同盟者にして又友邦なり。曾て大臣たり、今日勢力ある大政党の首領たる大隈伯は英領印度が最も近き日本の獲物なりと表明せり 全印度は此半島に在勤せる治者、官吏、兵隊合わせて七万の英国人の手に依りて支へられつつあり。果して然らば日本なりとて英国の政治教育と独逸の軍事教育を受けたる七万の同胞を其社会より派出し能はざるの理あらんや
と盛にノーヴオエ、ヴレーミヤ一柳の中傷的筆鋒を用ゐて日英両国を離間せんと企て 愈々最後に至り
日出帝国の太陽は今漸く地平線上に現れたるのみ 是れが愈々高く中天に昇らん時、世は将に其炎熱に堪えざるべし
と特に力を入れて擱筆せり