愛媛村残影 道南(南浦) 1


「愛媛村」跡と「岡山村」跡の位置



慶尚南道統営邑道南里には「岡山村」があった。ここには愛媛県魚島出身の横井庄平、大林善作が始めて任意移住(国策移住の「移住漁村」とは違う、ということだろう)してイワシ漁に従事したという記録がある。「岡山村」跡を探して弥勒島をほぼ一周したところでガイドさんの金外淑さんが「ここに日本人がたくさん住んでいたそうです」と案内してくれたところが「南浦洞」でした。今回の旅行が実りゆたかなものになったのは全くこのガイドさんのおかげでした。運のいいことに、金外淑さんは「岡山村」のあったこの道南の生まれだったのです。しかも、親友中の親友が「愛媛村」があった泗川市で陶芸をやっていたのですから大変な幸運です。さっきの情報もお父さん調べてくれて携帯で伝えてくれたのでした。



上の写真。「岡山村」のあった南浦洞がみつかって、土地の人のお話も聞けた(後述)のですが、高いところから南浦洞全体の写真を取りたくて私は山のほうへ登っていきました。すると南浦初等学校の建物がありました。三階建てですから、3階に上がらせてもらえばいい写真がとれるかも、と思って・・・

下の写真。おそるおそる教務室に入ると教頭先生(写真のお方)と思しき先生が執務中でした。三階から撮影をさせてもらおうとわけを話してお願いしたところ「はい、はい。わかりました。こちらへどうぞ」と案内されて行ったところが校舎の裏側。教頭先生が指差したところには、屋上までまっすぐに突っ立っているアルミ製のはしごでした。これはちょっと怖かった。垂直にしつらえられたはしごを一段一段登って屋上から取った写真が次の写真です。



その1 写真の真ん中の電柱の立っているあたり左右にメーンストリートがあります。そこあたりまでが海でした。よーく気をつけてみると中央から左にかけて日本式の建物が見えます。



カメラを左に振りました。日本式の建物が学校の下に、運動場の遊具と平行にほぼ二列に並んでいます。昔の海岸線にそって日本人の家並みがつづいています。これが「岡山村」の跡のようです。