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目次に帰る
2006年9月30日

内泊再訪


山本桃吉氏の縁者で、山本氏とともに三千浦での愛媛村に移民した吉澤氏に会うために再び内泊を訪れた。内泊の位置を示す航空写真はこちら(緑色の矢印の位置である)。
次の写真の中央に青い壁の家があるが、その裏山が内泊の墓地となっている。この墓地の一角に山本桃吉が建てた代々墓がある。このあたりの山はかつては段々畑だったそうだが今は放置されて雑木が茂っている。

若宮神社。手前の人物(東会長)が指差しているのが山本桃吉氏が五拾円寄付したことを記す玉垣である。

右から二番目の玉垣に「金五拾円山本桃吉」とある。

貴重な資料を見せていただいた吉澤氏である。吉澤氏は山本桃吉氏の長男の奥さんの弟である。また、山本桃吉氏のお孫さんにも来て頂き第一級の資料を見せていただいた。

 山本さんに持ってきていただいた山本桃吉氏の肖像写真である。朝鮮総督府第3代総督(斉藤実総督代理)宇垣一成大将が愛媛村の成功を顕彰するために現地を訪れ表彰激励したときの写真ではないか、ということだ。宇垣大将と山本桃吉氏が移っている写真が保存されている。
 宇垣大将が斉藤実総督の代理を務めたのは1927(昭和2)年4月15日から同年12月10日までであったから、宇垣大将の現地訪問のときだとすればこの間の写真ということになる。
 山本桃吉氏は1861(文久)元年生まれであるから、満66歳ころの写真というわけである。

これは吉澤氏提供の資料で「大正時代の八浦とハヤンゲ地区」とある。当時立てられた碑文には「八場浦(パルジャンポ)」と記されているが、実際にはここにあるように「八浦」と書いて現地音で「パルポ」と称していたそうだ。又の名を「山本村」。「愛媛村」ということはあまりなかったという。