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2006年9月15日

韓国沿岸への通漁


  日本が韓国を併呑したのは1910(明治43)年であったが、これよりずっと早くから日本の漁船が密漁的に、あるいは合法的に韓国沿岸に進出して魚をとっていた。仕事が終われば日本に帰ってくるので「通い船」ならぬ「通い漁」つまり「通漁」と呼ばれていた。
  当時の香川県の漁民の収入は全国的な水準の三分の一程度で貧しい暮らしを強いられていたそうだが、彼らは韓国沿岸に新世界を求めて進出したのだった。岡山県、広島県、山口県など瀬戸内海諸県の漁民も活発に「通漁」を行った。当然愛媛県の漁民も韓国沿岸へ乗り出した。『朝鮮水産開発史』(吉田敬市著・1954・朝水会)資料によれば次のような通漁状況であったそうだ。

二名信用組合
(宇摩郡二名村※1954(昭和29)年川之江村に編入)
進出海域=木浦・仁川・龍岩浦(鴨緑江河口か)
川之江信用組合
(宇摩郡川之江町)
進出海域=上に同じ
新居浜遠海出漁組合
(新居浜村)
進出海域=釜山、鎮海、龍岩浦沿岸
大島遠海出漁組合
(新居郡大島村※新居浜市多喜浜沖合いの島)
進出海域=巨済島沿岸

西条北浜遠海出漁組合
(新居郡西条町)
進出海域=上に同じ
岡村信用組合
(越智郡岡村)
進出海域=江原道、慶尚南道沿岸
魚島信用組合
(越智郡魚島村)
進出海域=知世浦(巨済島の港)、旧助羅(巨済島一運面)
宮窪遠海出漁組合
(越智郡宮窪村)
進出海域=鎮海湾内

小部遠海出漁組合
(越智郡波方村)
出漁海域=釜山近海
大浜遠海出漁同盟組合
(越智郡近見村)
出漁海域=蔚山(ウルサン)、知世浦、鎮海湾
安居(あい)遠海出漁組合
(温泉郡北条村安居島※北条港北西13.5km)
進出海域=上に同じ
新浜遠洋出漁組合
(温泉郡新浜村※現松山市高浜町)
進出海域=釜山、鎮海湾内
臥龍遠洋出漁組合
(宇摩郡三島村※四国中央市三島町)
進出海域=済州島
神山遠洋出漁組合
(西宇和郡神山村※現八幡浜市)
進出海域=馬山近海
睦野出漁組合
(温泉郡睦野村※明治22年睦月と野忽那で睦野村を構成した。)
進出海域=釜山近海
三崎信用組合
(西宇和郡三崎村)
進出海域=江原道、慶尚南道、および全羅道の海岸
神松名信用組合
(西宇和郡神松名村※現伊方町の明神、松、名取か)
進出海域=釜山、欲知島(巨済島の南西、南海島の南東の小島)、安島(麗水南面安島里か)
二木生信用組合
(西宇和郡三瓶町二木生※現西予市)
進出海域=巨済島、欲知島
三机出漁組合
(西宇和郡三机)
進出海域=釜山近海
川之石遠海出漁組合
(西宇和郡川之石村)
進出海域=釜山近海
玉津遠海出漁組合
(東宇和郡玉津村※吉田町内)
進出海域=巨済島曳亀浦
日振灘同盟遠海出漁組合
(北宇和郡日振島)
進出海域=鎮海湾内
西外海遠海出漁同盟組合
(南宇和郡西外海村)
進出海域=釜山近海
弓削遠洋出漁組合
(弓削村)
進出海域=江原道、全羅南道沿海

愛媛県遠海出漁団体連合会
(愛媛県庁内)
進出海域=漆川島(巨済島北西・古戦場)、旧助羅(巨済島)
 下に、愛媛の漁民の通漁進出海域のおおよそを赤で示してみた。