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2006年5月22日

大学同窓会 4 雨森芳州


 江戸時代の対外窓口の一つ対馬藩といえば雨森芳州(1668-1755 JANJAN市川嘉紀さんの文章高月町立観音の里歴史民俗資料館の資料)。
 下の写真は長寿院寺門。雨森芳州の墓はこの寺の裏にある丘の頂上にある。


  狭くて急な坂道を上る。道の真ん中に筍が顔を出しているところもある長い上り坂である。息が上がりそうだ。頂上につくと雨森芳州の墓が待ってくれていた。周りの墓もほとんどが雨森姓である。子孫のものらしい。ちょっと似合わないが「特務曹長」などというのもあった。

 思えば私たち日本コリア協会・愛媛の活動も雨森芳州先生の思想を受け継ぐものでもある。公正な立場で両国関係を捉えて行きたいものだ。

  雨森芳州は「言葉を知らで如何に善隣ぞや」と喝破されたそうだが最近韓国語の勉強はとんとおろそかになってしまっている。

宝暦五年(1755年)、なくなった年に建立されている。251年前の墓であるが刻字もしっかり残っている。
 関係ないことだが、我が家のご先祖の墓は苔むして判読しがたい状態のものが多い。200年くらいたっているのもあるようなので、一度ちゃんと洗ってみようか。