2000年5月18日木曜日   
  「神の国」をめぐってちょっと気になること


 正直な種明かしだった。
 
  • なぜ昭和天皇在位60年を祝ったのか
  • なぜ現天皇の在位10年を祝ったのか
  • なぜ「緑の日」を「昭和の日」したのか

 森首相はそれを「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞ、ということを、国民のみなさんにしっかり承知していただく」ためなのだと説明した。

 この発言は森政権の命取りになるのかもしれない。森政権成立を合図に始まった株価の下落は、この発言で拍車をかかっているともきく。
 森首相が地方へ行っても演説させてくれないところが出ているらしい。彼がしゃべると票が逃げるのだそうだ。

 首相退陣の要求に忘暮楼も賛成である。
 この人は政治家ではなく、政治屋である。目の前にいる人しか視野に入らない人、目の前にいる人の歓心を買うことに精一杯の人、「口より出せば世間」という真実が理解できない人は、票と役得がすべての政治屋なのだ。政治屋に総理大臣の仕事ができるはずはない。

 しかし、忘暮楼は昨今の一連の議論を聞きながら一種の違和感を抱いているのである。

 忘暮楼は日本は君主国であって、共和国ではないと認識している。主権は国民にあるにしても、君主国であるには違いないのである。だから森首相が「天皇を中心にしている」といっても現実を無視しているわけではない。

 また、この日本は「神の国」でもあるのである。人が住んでいるところには必ず神社があり神祠がある。教会がないところ、創価学会がないところ、お寺がないところにも、神社や神祠ならあまたある。道端にもたくさんの神がいる。その神様のほとんどは遠い昔に天照大神のもとにひざまづかされている。
 町内会は、氏子の仕事を請け負って、たいてい神社の下請けをやっている。神社への寄付も当然のように集める。
 元号と休日をみれば、この国の普通の人々の毎日の時間が天皇に支配されていることを認めないわけにはいかない。

 「日本は天皇を中心としている神の国だ」という主張を時代錯誤として斬って捨てる傾向があるが、一般論としては、それはちがうのではないかと思う。「日本は…」に近い考えかたをする人々はこの国にはゴマンといるのではないか。その人々が何はともあれ自民党を第1党に選出しつづけてきたのだと思う。

 この国の真の変革のためにはこの現実を直視する必要があるのであろう。昭和天皇が沖縄をいけにえにして手に入れた憲法第一条がある限り、日本は「天皇を中心とした神の国」でありつづけるのではないか。しかして、現在の民主勢力には、第1条の廃棄と第九条の存続を同時にやり遂げるだけの力はない。日本を共和国に変革するだけの力はない。アア。