2000年5月16日火曜日    

清沢洌と朝鮮


 清沢洌の『暗黒日記』を読んだ。戦時中の知識人及び市井の人々のいとなみに新しい認識を得た。
 日記の中には植民地朝鮮に関する記述も多い。書きぬいておく。

1943
5・25

 国際関係研究会で乾精末君(法博、外務省嘱託)が世界新秩序案を読んだ。それは東亜共栄圏を中心にした世界新秩序案である。余り各方面から感心されなかったようだ。というのは、事態が困難だからだ。世界の開放を求めるのはいいが、それならば東亜において各族の独立を認めることが出来るか。例えば朝鮮人が人民投票した結果、独立を欲するといえば如何。
 左翼主義はそれでも研究した。歴史研究にしても未踏の地に足を入れた。唯物的立場から。しかるに、右翼に至りては全く何らの研究もない。彼らは世界文化に一物も加えない。
1943
6・18

 加藤武雄君(作家)が朝鮮から帰っての話し。
 朝鮮人の間に日本に対する不満がある。在鮮日本人は、これを見て、しかも知らぬふりをしている。自分はこのことを警告してきたと。
予は、米国の戦後要求の中には、朝鮮独立という如きはあるまいが(それは合法的に行なわれたものだから)しかし、国民投票によって帰去を決するというようなことはあろうと話した。
1943
7・21

 東電記念出版のために、昭和年代の年表を作成中だ。満州事変前ニ、三年間にいかにストライキ、学校騒動、思想関係の事件の多きことか。陛下を狙撃せんとする企ても、難波大助事件、昭和七年の鮮人逆徒李奉昌等の事件あり。この不安と動揺が、満州事変に現れたともいい得るであろう。
 この底流は、十年後の今日も、なお払拭されておらぬのである。この大東亜戦争の結果、何事かが起こらぬと考うることは、その事が不自然である。
1943
12・18

朝鮮において「何故に我らに独立を与えぬか」という運動が起こっている由。また義勇兵壮行会の席上などで野次が飛んだり混乱があったりする。郷里から三通も四通も手紙が来て義勇兵志願を勧めるのだそうだ。
1943
12・29

 日本的な政策では、他民族などは決して治めることができないという実物教育を日本人に認識させない前に、もし戦争が終わることがあれば、それはかえって日本国民にとって不幸である。…中略…
 いわゆる強硬外交は成功する。それが一定のところで泊まればだ。
 日本が満州事変で、イタリーがエチオピアで、ドイツがミュンヘン会議で止まればそれは成功する。イタリーのエチオピア戦では連合国が失敗を認め、中立諸国(第1次大戦の)は経済封鎖終始を公式に宣言した(一九三六年六月二十五日)。問題は、そうした諸国がそこで止まれるかどうかである。
1944
5・29

朝鮮人非常に多し。ある人が半島から帰って来て山陽ホテルに宿り「ここも朝鮮か」といったというが、さような気分である。電車の中でも朝鮮語汎濫だ、今後の大きな社会問題だ。
朝鮮人を日本名に化さして、日本人の信用(?)を僣用させて─総督政治の愚、言うに忍びず。言論自由があったら、そんなでもなかったろうに。
1944
8・29

 朝鮮人が半島に引上げ中である事実は、山田(秀雄)君(東洋経済編集局長)の話しでも明らかだ。東洋経済におった二人の鮮人はいずれも、朝鮮に帰った。
 鮮人である平山君は公然曰く、大東亜戦争は、日本が勝っても、敗けても朝鮮にいい。勝てば朝鮮を優遇するであろうし、敗ければ独立するのだと。大熊真君の話しでは、外務省に朝鮮人の官吏がいるが、明らかに日本が敗けてくれることを希望する口吻であると。  
1944
8・29

 外務省より嘱託の辞令でる。書き込む書類が、写真、戸籍謄本等、とても大変だ。[役所的]である。
 議会で外交問題に対し、質問応答の形式で日本の条件を発表するに、やや決定した模様だ。
 米沢靖君の希望により昼食を共にす。同君の話し。
ニ、朝鮮人にして一億円以上の金持ちは十八名あり。その内二人は二億円もある。彼たちは独立運動に金を出しつつあり。
在日朝鮮人百三十万人。
1944
9・7

  内閣の首班が、軍人、朝鮮総督が軍人、台湾総督が軍人、東京市長が軍人、そして実際の指導勢力が軍人─彼らは実力を以てそこにいるのではない。肩書きを以てそこにいるのだ。しかも、その肩書きは「無智」の標章ではないか。この組織が直らなければ、日本は断じてよくならぬ。
1944
10・11

 日本人は問題の重要性を識別する力がない。形式に促われるのはそのためだ。
 国際関係研究会で上田辰之助博士の「中共」に関する講演あり。中国共産党は「日本解放委員会」という特別の部門を有しており、日本の軍国主義を打破するスロガンを持っている。また現実に、北支における日本軍部に働きかけていることである。朝鮮人にして逃げて行って中共に投ずる者も、かなり多いと。
1944
12・10

 外交には持つものを手札にして、最小限度に譲歩する手を用うのほかなし。日本が持っているものは満州と、外国の駐兵である。その二つを使って朝鮮、台湾を食い止め得れば最上である。
 朝鮮に対する小磯首相の言明が、いま問題になっていると。すなわち何らかの政治的権限を与える問題だ。朝鮮は日本のアイルランド問題だ。
1945
3・20

 戦時下政治の一現象─朝鮮、台湾、樺太に対し、
 貴院勅撰議員、朝鮮、台湾より十人以内、衆院に朝鮮二十三、台湾五人、樺太から貴院多額議員一、衆院三名
 を出すことに枢密院で御諮問、十七日決定。法案として議会へ。
 1ヶ年は選挙を一切停止。これまた法律化へ。
1945
4・17

 毎日デマが飛ぶ。昨夜も警報が出たとか、艦載機が来襲したとかいうのである。また電車の中でも、そういうことをいうものがある。警報が吹奏されないにかかわらず、誰もかれもそれを信ずる。これは恐慌時代、不秩序時代の一歩手前だ。元来が、批判なしに信ずる習癖をつけてこられた日本人だ。大地震の際の朝鮮人に関するデマが、そうであった。今回も、そうした事変の起こる可能性は非常にある。
 沖縄の戦争は、ほとんど絶望であるのは何人にも明瞭だが、新聞はまだ「神機」をいっている。無論、軍部の発表によるものだ。国民は、愚かな田舎人でもこれを信じまい。誰も信じないことを書いているのが、ここ久しい間の日本の新聞だ。
1945
5・21
清沢洌氏、肺炎がもとで東京で急逝。享年五十五歳。