2000年5月6日土曜日晴れ    
戦争中のゴルフ

 天皇崇拝者にして国際通のリベラリスト・清沢洌の『暗黒日記』を読んでいる。戦時中のリベラリストの動向がよくわかる。
 途中、ちょくちょくゴルフの話が出てくる。例の如くミーハー的だが、ゴルフが出ている記事をチェックしておこう。

  戦争中もゴルフは結構盛んだったそうだ。だがある時期以後は、プレイの前に30分間ゴルフ場付属の畑を耕すことが義務になった、といった話を誰かの本で読んだことがある。そのことはこの日記にも出てくる。

 


昭和18年
2月17日(水)
十六日、ゴルフをやる。二ヶ月ぶりだ。あまり成績よくなし。ゴルフは今度打球というようになった。「打球練成袋」とゴルフ・バッグをいったらどうかと皆で笑う。テニスの英語も、日本語にした。テニスを生かして、言葉を日本語にす。小児病的な現代思想がここにもあり。
3月16日(火)
昨日、高の台ゴルフ・クラブに遠征を試む。PGA(文筆家のゴルフの会)なり。三等賞をとる。すき焼あり。天気よく,好調の日であった。
5月27日(木)
朝ゴルフの練習にいく。
6月24日(木)
石川達三、中川龍二両氏とゴルフをなす。
6月30日(水)
 昨日、妻と軽井沢に来る。…中略…
 本日は午前は『東洋経済』に社論を書き、午后ゴルフを遊ぶ。このゴルフ場を提供せしむる運動、長野県壮年団にあり。労働力不足が悩みならずや。この草原をとりて、彼らはいかにして生産せんとするや。売名か、赤化か。
7月6日(火)
 ゴルフなどは、もう来年はやれないだろうという空気が、PGAの連中の間にも満ちてきた。
 鈴木文史朗は現在の支配層階級を歌舞伎の赤ら顔にたとえる。確かにそうした感じだ。「むやみに国民を排撃して、それで総力戦が出来るだろうか」と誰かがいった。
 有沢弘巳は兄から金を出してもらって、淺川に三反の畑と、山を買い、百姓屋を改造して自作農をやることになったそうだ。それは来るべき混乱と革命に対する恐怖からである。
7月10日(土)
 朝、下村海南氏よりゴルフの誘いあり。行く。
7月14日(水)
 …前略…信州の翼壮(翼賛壮年団)は軽井沢のゴルフ場閉鎖を主張するのは、近衛(文麿)とか後藤(隆之助?)とかいう連中が、自分でそんなことをしているんでは、増産も何もできぬというにある由。
 彼らは知識人が休息の要あることを知らぬほど無知であり、また根底に破壊と嫉妬あるを見る。
7月24日(土)
 昨日、今日はようやく晴れる。晴れれば軽井沢は天下一也。…中略…
 毎日ゴルフにも行かず、家の周囲にいる。掃除も自分でやる。
 午后ゴルフにいく。うまくいかず。ボールのみ失う。場内で土を耕している。ここへ来て耕作せざるべからずか。何人も、何人も監督してやっている。これが生産のためか――元より然らず。
8月3日(火)
 片岡鉄平君を交えてゴルフをなす。帰途僕のところで昼食をす。午后四時過ぎまでいる。
 ファッシスト崩壊で、日本の自由主義者に対する圧迫加わらんという点は予と同感。自由主義者の如き真面目の愛国者は多からず。これをお国の役に立てないのは国家的損害である。
8月27日(金)
 …前略…いわゆる日本主義の欠点は、国内の愛国者を動員し得ぬことである。思想の相違を以て、愛国の士を排斥することである。これがファータル(ママ→フェイタル)な弱点だ。
 …中略…ゴルフに行ったが雨天のために中止。
10月1日(金)
 昨日は駒沢ゴルフ場の閉鎖最後日でバッグをとりに行った。やっている間に、NO9のアイアンを拾われ盗まれた。不愉快なること限りなし。近頃は盗人の世の中である。汽車で据(すわ)っている間に靴を盗まれた人。電車で鞄を盗まれた人。非常に多し。

『暗黒日記』は昭和20年5月5日まで続くが、ゴルフの記事はこの後不出。