2000年4月24日月曜日快晴  Midnight Walkが不許可になったそうだ。     
用途を失った言葉


 
 映画「地雷を踏んだらサヨウナラ One Step On A Mine,It's All Over」(五十嵐匠監督 1999年 1時間51分)を観た。戦場キャメラマン一ノ瀬泰造のモニュメント映画である。
 ポル・ポトが攻勢を続けるカンボジアの戦場とプノンペンとサイゴンと佐賀県武雄市が舞台である。映画は、それぞれの「お国」の生活が見られてうれしい。カンボジアの結婚式の光景は楽しかった。村人が集まって踊る踊りが沖縄のカチャーシーにそっくりだったのには驚いた。

 上映を待つ間に買ったばかりの『神の子どもたちはみな踊る』(村上春樹)の中の「UFOが釧路に降りる」を読んだ。面白い。

「道路の両脇に、汚らしく凍りついた古い雪が、用途を失った言葉のように、雑然と積みあげられているだけだった。」

 確かに「用途を失った言葉」がある。忘暮楼が「かあちゃん」と言う言葉を捨てて「おかあさん」と言い出したのは、母親への信頼を失ったころだったが、「かあちゃん」はついに復権しなかった。

 子どもたちの呼び方もそうだ。「のりちゃん」は「のりかず」になり、「としくん」は「としつぐ」になりそれぞれにいささかの距離をおいて付き合うことになった。末っ子だけは、呼びやすい名前のせいで昔も今も「ゆうや」である。まあ、みんな戸籍上の名前で呼ばれることになったわけだ。

 「用途を失った言葉」のあれこれを思い出すと、60年近くの人生の中で捨ててきたものが多いことに驚かされる。