2000年4月13日木曜日   
戦後の平和 その2

 「戦後の平和」という言い方は、「戦前の平和」と同様、完全なトートロジー(同語反復 井上陽水の「金属のメタル」「川沿いリバサイド」のごときもの)である。戦争が始まるまでは平和であるに決まっているし、戦争が終われば再び平和になるに決まっているからだ。

 日本遺族会が「わが国平和と繁栄は二百五十万英霊の尊いいしずえのうえにきづかれている」というときの<わが国の平和>も、それは当然「戦後の平和」を指すものであり、トートロジーなのである。

 平和とは、奴隷にすら「奴隷の平和」があるように、それは一つの体制、総体的に平穏な体制である。戦争というものは、現在の体制=「戦前の平和」にたいする不満から引き起こされる。自分の求める体制=「想定された戦後の平和」を手に入れるために、眼前の平和を破壊するのである。

 例えば日清戦争の場合、大日本帝国は、朝鮮と中国に対して圧倒的に優位な立場にあるような「新い平和」を求めた。それは、欧米列強に匹敵する国家としての「新しい平和」でもあった。

 戦争の結果生まれた「戦後の平和」は、概ね大日本帝国の目論んだ体制であった。

 戦争で死んだ兵士たちが、帝国によって「新しい平和」のいしずえと賞賛されたのは当然である。

 しかし、「大東亜戦争」の場合は違っていた。この戦争は、「米英との平和」を否定し、「中国や東南アジア諸国を欧米帝国主義国の支配から解放する戦争」によって「日本=天皇を盟主とする東アジア広域経済圏」という「新しい平和」を築き上げようとしたものであった。  しかし、実際に現われた「新しい平和」は、なんと、大日本帝国を解体する平和であった。大日本帝国はこの戦争によって帝国が明治以来進めてきた東アジア抑圧・支配による国家建設戦略の成果をすべて失ったのであった。

 「アジア諸国の、大日本帝国を盟主としない独立」が今次戦争の目的ではなかったのは、朝鮮の独立が帝国の目的でなかったことと同様である。このような平和しかもたらせなかった兵士たちの生と死を、国家はどんな理由で称えるのであろうか。

 天皇のために命をささげることに依然として至上の価値があるのなら、これらの死は永遠の価値を持つことになる。しかし、そうでないならば、兵士たちの死は徒死と呼ぶしかないのである。そして戦没者の遺族は、例のトートロジーによってしか、父や兄弟の死を意味付けるすべがないのである。