2000年330 晴れ   
 尾上一族のご先祖(息子たちへの覚書)


 

 

 忘暮楼が自分の親類縁者との縁戚関係がよく理解できていない。母親が死んでしまったので身近には教えてもらえる人もいなくなった。

 尾上一族の故地である大洲市上須戒には何軒か親戚がある。なかでもお墓の世話をはじめご迷惑をかけっぱなしなのが二宮家のみなさん。ここの章ちゃんたちの父上(金衛・故人)が忘暮楼の従兄であるということは知っているのだが、それ以上には両家の関係がわからないままでいた。
  たまたま、ずっと以前に入手していた父親(昭和19年没)の戸籍謄本が手元にあったので父親の系譜をたどってみた。すると、現代の常識からではややかわかりにくい記載にであう。まず、

 明治18年 ナカ、上須戒村二宮十松妹入籍

 ナカ(安政3年生まれ)は忘暮楼の父方の祖母である。そのナカが「妹入籍」とある。これは「旧民法」のイエ制度からくる処理だ。

 ここからみると、ナカはもともと二宮一族だったのだろう。結婚して他家に入籍したが、その後何らかの事情で離婚したのではないだろうか。

 離婚して元の二宮家に戻ってきたのだが、その時にはもう二宮家は代替わりして実兄十松が家督を相続していた。そこで子としては入籍できず、「妹入籍」となったものと思われる。

 ナカはこのあとまもなく尾上金太郎と結婚して、トラヨ(章ちゃんの祖母)と圓衛(忘暮楼の父)と壽賀子を生む。

 トラヨは長じて金衛(章ちゃんの父上)と正子を生むが、金太郎の戸籍謄本ではトラヨも、その子の正子(明治38年生まれ)や金衛(明治41年2月25日生まれ)も「尾上」姓を名乗っている。正子と金衛の父欄は空欄となっている。この空欄の事情はわかっていないが、母ナカと同様に他家に嫁いだのかもしれない。そこで子を産んで、子連れで出戻ったとも考えられる。あるいはもっと複雑な事情があるのかもしれない。

 トラヨの欄には、さらに、

明治41年3月9日上須戒村甲850番地戸主二宮十松と養子縁組
 と記されている。

 ここでまた二宮十松が登場する。十松はトラヨの母の実兄であった。金衛の出生が2月25日、養子縁組が3月9日であるから、金衛の出生と養子縁組の間にはなにか関係があるのであろうが、今は事情がわからない。

 まとめてみると、ナカは、二宮家から他家へ嫁いだ後二宮家に出戻った。そののち、ナカは尾上家に嫁入りし、息子圓衛が尾上家を家督相続した。
 ナカの娘、圓衛の姉トラヨは、2人の子を産んだ後、ナカの兄二宮十松の養女として縁組し、金衛・正子の2人の子どもと共に二宮家に入籍、金衛が二宮家を相続した。

 公開日記を称しながら全く個人的な記述になってしまったが、忘暮楼の息子たちのために書きつけた次第である。