2000年3月22日(水曜日) 晴れ
葬式の鉦(かね)


 昨日初めて愛媛県護国神社を訪れた。(写真)ここには英霊思想を復活させようとする人々の頑強な意志が表現されている。

 HIV患者の衆議院議員・民主党の家西さんが「やった側は水に流せても、やられた側は石に刻む」のだ、と語っておられた(朝日新聞・3/21・34page)。

 戦争で生き残ったものが造った護国神社の慰霊碑は、やった過去をきれいに水に流しているように思えた。だが、死んでいった当の「英霊」たちは、これまた天皇国家にうまくしてやられた側ではないのか。

 今朝メールを開けてみると、藤井ゆき先生がおかあさんであるかわかみよしこさんが作られた詩を送ってくださっていた。やられたものには、今も葬式の鉦(かね)の音が聞こえます。


ひのまる

 

葬式の鉦

……二十一世紀も『君が代』『日の丸』を
   もっと重視するという教育方針が出された

 

かわかみ よしこ

 

……夜中にカンカン鉦を叩いて
   葬式をふれてまわるのはやめてください

職員室に入って来た老婦人の真顔の訴え

……小学校の運動場で   
    毎晩 鉦の音がするんです   
    聞き間違いではありません

  
    『日の丸』を振って   
   夫を送り出したときから   
    わたしの苦労が始まりました  

   夫はお腹の子どもの顔を見ずに   
    戦死しました   

    夫と
    夫の祖父と
    舅と
    姑の葬式を出して   
    みんな送りましたから   
    葬式の鉦の音はよく知っています

広い運動場をいっしょに歩いて探してみた

……このあたりです
   そこにあったのは国旗掲揚塔

……ああ この音です

旗につけるロープを
ポールの下の方で結びつけてあるのだが
わずかにゆるんだロープが
風で揺れてポールに当たる
その度に金属的な音を出している

……『日の丸』が 今も   葬式の鉦を鳴らしているんですね

 

 

早 春

かわかみ よしこ 

どの山にも
薄紫のオーガンジーのベールが
ほわほわっと かかって
輪郭線を消しています
黄砂が霞を運んだのでしょうか

庭のみずきも もみじも
冬の間に伸びた分だけ
枝が赤みを帯びています
紅色の芽は
少女の胸のように
ふくらみかけています

山は
間もなく もえぎのシンフォニーを奏でるでしょう
夢のような山紫は
耐えぬいたものが 春を謳う
その前の 一瞬の静けさです

 

 

ハンゲショウの花と葉

ハンゲショウ

かわかみ よしこ

半夏生の頃の花 ハンゲショウ
楕円形の葉が上から順に白く変わる
三枚白くなったら梅雨が明けるそうだ
別名「半白草」の名のとおり 裏は緑のままで 
白いのは片面だけ 白い穂が先端に垂れるようについている

機械がなかった頃 田植えが終わった後は
「しろみて」とか「はんげしょう」とかいって
みんなでご馳走を食べていた
田植えの後に台所仕事もして
女は二重に疲れる

終戦の年の半夏生の頃
村に戦死の知らせがいくつも届いた
疲れはてていた若い嫁は 色を失い 
納屋にもたれて嗚咽に耐えた
ハンゲショウも白くうなだれていた

色とりどりの花の中に
ハンゲショウが白く染まっている
葉の裏は変わらぬ緑のままで

……髪を染めるのをもうやめようかな
   すぐハンゲショウみたいになるから

……もう八十歳なんだから 白髪もいいよ

……仏壇のあの人は若いままなのにね   
    アハハハハ

※半夏生=夏至から十一日たった七月二日頃のこと

 

 

韓国旅行

かわかみ よしこ

連休を利用してソウルへ行った
ほとんどの場所で日本語が通用する

ガイドさん
「日本語と韓国語は語順が同じですから 勉強の初めは やさしいです」

南大門市場で
「ハンドパク 安くしますよ 何円 買いますか?」

アカスリのおばさん
「気持ちですか? 後ろください 横ください」

道端でたいやきを売る屋台のおじさん
「安いよ よっチュで 千ウォン」

ホテルのボーイさん
「ありがとゴゼました」

ガイドさん
「日本語はやればやるほど難しいです
韓国人にはできないハチオンがあります」

一番きれいな日本語を話したのは
『ナヌムの家』の元従軍慰安婦のハルモニ
「無理やり連れて行かれたのは
十六歳のときでした
ここに来るまで
五十年近く使わなかったのに
日本語をちゃんと覚えていましたよ」

言葉が通じる相手なのに
わたしは何も言えなかった
話さなければならないことが いっぱいあるのに………