2000年3月20日(月曜日)春彼岸会 はれ
我が家の墓地


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 このところ、他人の墓地ばかり巡っていたのだが、今日は彼岸会、お寺の
法要に出席した後、久しぶりに亡父の故郷にある墓を詣でた。
 杉林や竹林に囲まれた日当たりのいいこの丘が祖先が暮らしていた場所
である。一番奥に先祖代々の墳墓がある。


  山の右上部分、稜線のちょっと平たくなってアンテナやスギの樹が
何本 か見えるあたりが名刹金山出石寺(しゅっせきじ)である。


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正面のクリの木が数本植えてあるあたりが祖先の屋敷跡だ。 


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 このあたりに家が建っていたらしい。


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 祖父尾上金太郎は熱心な法華信者であった。屋敷跡の一角に祖父が建
てた法華経塔が今も残っている。南無妙法蓮華経。


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 祖先が使っていた水甕らしい。


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 屋敷跡を別の角度で見る。クリの木が植わっている。


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 祖先の屋敷跡の西隅が一族の墓所となっている。桜の木の右が尾上金
太郎 一族、つまり忘暮楼一族の墓所。左が金太郎の娘トラヨ(圓衛 の姉 )
の嫁いだ二宮一族の墓所と言うわけだ。


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前面の墓標は祖父金太郎の代のものである。我が家の家紋が「三つ巴」で
あることがわかる。


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南側から見る。


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これも祖先の墓。一番右のちょっと傾いた墓標が初めて「尾上」姓を刻んで
いる。


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江戸時代の先祖の墓。天保(1830年〜1844年)年間のものが一番古いよ
うだ。他に、弘化、元 治などの年代が読み取れる。


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これが我が家の墓標。亡母が一人でお金を作った。「題字」は忘暮楼が書
いた。「尾上家無始歴代墓」と書いたが、「尾上家」と書いて「イエ」制度を
応援してしまったのは不覚であった。

 ちなみに個人墓が廃って、「先祖代々之墓」ないし「○○家之墓」の墓が
一般化したのは、「大正期中葉から昭和初期にかけて」(『大法輪』 年4月
号藤井正雄)だそうである。


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 右三人が二宮家の面々。中央の女性が忘暮楼の従兄・金衛さんの奥
さん。二宮家のみなさんには本当にお世話になりっぱなしである。感謝。