2000年03月16日(木曜日) 島原そうめん


   1637年から翌年にかけての島原一揆.原城に篭城した者は,島原半島14カ村出身者が23,888人、天草出身者が13,900人の計37,000人であった。

 12万数千人の幕府軍はこの37,000人を、幕府軍に通じていた一人を除いて、全員殲滅した。戦後さらされた首だけでも10、869級あったと言われる。

 と、ここまでは一応勉強したことがあるのだが、はて、このあとはどうなったのだろうか。


 その結果、島原南部(南目)の諸村および天草北部の農村機能はほぼ全壊した。

 「百姓は生かさぬように、殺さぬように」というのが幕藩体制の経済原則だったのに、百姓を殺してしまったのだから藩は成り立たない。戦後、幕府は島原と天草に、各地から多くの百姓を強制移住させてこの地の復興を図った。一説に、諸大名一万石につき一人の百姓を供出させたといわれる。

 近隣のいくつかの藩からの移入の実情をまとめてみよう。
 島原へ天草へ合計
熊本細川藩から184人172人356人
馬8頭 馬2頭10頭
鹿児島島津藩から30戸184人30戸184人368人
馬49頭馬100頭149頭
萩毛利領から  178人
鍋島領から  60戸

 そのほかに対馬から、種子島から、そして小豆島(天領)からの移住があった。小豆島といえば代表的なそうめん産地。

 このとき小豆島から移住してきた(させられてかな?)の農民が伝えたそうめん技術が、今の島原そうめんのルーツだとする説がある。 くわしくはここ(クリック)

 島原のそうめんは全国第2位の生産量を誇っているそうだ。