2000年03月15日(水曜日) 晴れ
祝 公開日記1周年
おんなじことヤッテラア


 今日は実は祝 公開日記1周年の日である。あっという間の1年だった。

 忘暮楼も今年は58歳。したがってA・トフラーの『 Future Shock 』流にいえば、1年はわが一生の1.7%にしか過ぎず、それがあっという間でしかないは至極当然と言うことになるのだが、それにしても早かった。

 忘暮楼がドリームネットでインターネットを始め、次いでWEBSITEをつくったのが、mato55@aa.mbn.or.jpというアドレスにあるように55歳の1997年だった。2年後の昨年の今頃、たまたま、WEB日記を管理することの出来るフリー・ソフトに出会った。三日坊主の忘暮楼だがこのソフトを使えばやれるかも、と思って始めたのがこの公開日記だった。現在の日記の体裁はこのソフトのものである。

 自分の頭でねじ伏せることの出来ない問題にぶつかると、とたんに書けなくなる。そんなときはスルスルと3、4日が経ってしまい、挽回に苦労することになる。

 書いていいかどうか、迷うこともよくある。「迷ったら止めよ」というのが『徒然草』の知恵であるが、「迷っても書きたい」のが、公開日記の魔の手である。あちこちに迷惑をかけたのかもしれないが、しばらくは手探りが続くのであろう。

 さて、公開日記の第一日の文章を読みなおして笑ってしまった。
 「家庭禁酒」が自慢げに掲げられている。

 実は、その後「人間ドック」に入ったところ、医者の総評は、思いもかけず、「一週間に一度派休肝日を」という軽い科料だった。そこでいともたやすく晩酌が復活してしまった。

 そして今また晩酌を止めているのだが、体重はこの1年で、8キログラムも増量しているのだった。
 おんなじことヤッテラア、と笑ってしまった次第。


1999年3月15日(月)

今朝の計量でナント73.8kgが記録されたのだ。うれしーーい。
家庭禁酒、食事療法、waking(後ほどふれたい)のおかげだ。
1998年8月の終わりまでは、毎日酒で3合程度を飲んでいた。それを止めた。
今は、外でナニカゴトの時にシコタマのむが、その他の日は1滴も飲まない。