2001年 12月24日 月曜日

日本人のやり方


 韓国のある外科のお医者さんが面白い本を貸してくれた。妻が年明けにソウルへ「帰国」ときに持って帰ってもらうつもりである。

 その本の名は『ソウルに刻まれた日本 69年の事跡を歩く』、チョン・ウンヒョン著・武井一訳・桐書店。この本は、中野茂樹という写真家が出した『植民地朝鮮の残影を撮る』(1990/9岩波ブックレット 当時著者は29歳)の直接の影響で取りかかられたものだそうだ。

 私もこの岩波ブックレットで、日本人が朝鮮で立てた建物がみななぜ頑丈なのか、を学んだ。それは「日本人が朝鮮を永久に支配する予定だったからだ」、つまり、あの戦争で皇軍が降伏しなかったら、そして戦争体制を何とか今も維持し続けていたら、それらの建物は今日も日本人の支配の象徴として生きていたはずだったのだ。

 さて、『ソウルに刻まれた…』には知らないことがたくさんかかれている。そのなかで、いかにも日本人らしいしつこさを示す事例を二つほど紹介しておこう。

仁旺山(イヌワンサン)

 大統領府の西側をソウルの街を包むように伸びているのが仁旺山であるが、この山の本来の名前は仁王山(発音は同じ)であった。朝鮮を植民地とした日本人はこの地の「王」が君臨することは許しがたい、民族意識は抹殺されるべし、ということで「王」の左に「日」を置いて日本が朝鮮の王を抑える形とした。この名前は戦後も使われ続けていたが1995年になってやっと「民族の精気」が及び、もとの「仁王山」に戻された。

ソウル市庁の建物の奇妙な形

 たまたま乗ったタクシーの若い運転手が「私の祖父は日本人なんですよ。名古屋の出身です。父は自分が日本人なのか、韓国人なのかということでずいぶん悩んだようですが、私はもうそんな悩みは持っていません」と話してくれた。その運転手がソウル市庁の建物は「日本」の「本」の字になっている、と教えてくれた。「本」の字の建物なんて想像もできなかったのだが、『ソウルに刻まれた…』には隣のプレスセンター19階の記者クラブから撮った写真が載せられている。これを見るとたしかに「本」の字になっている。これも運転手さんの話の続きにもなるが、数年前に壊した旧朝鮮総督府の建物は「日」の字に作られていた。そこで大統領府や慶福宮の背後の北漢山(プッカンサン)を「大」の字に見立てて、ソウルの地に永久の「大日本」を刻んだのだという。


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