2001年 12月13日 木曜日

ブルカ


「衣服」と「被服」

 「衣服」と「被服」は異なる概念だそうで、被服=衣服+被り物+履き物+手袋ということらしい。そこで、被り物であるアフガンのブルカのことを考えようとすると、被服を考えることになる。

 さて被服の機能は三つあって「〔1〕防護性、〔2〕象徴性、〔3〕装身性」ということになる(『日本大百科全書』(小学館))。私の言い方で言うならば、防御性というのは要するに便利さのこと、象徴性は、警察官であるとか、女性的であろうとする人間であるとか、会社員であるとかいったアイデンテティの宣言であろう。装身性は要するにミエである。

ブルカと女性抑圧

 ブルカも当然この三つの機能をもっている。今日はパキスタン特派員だった記者(しんぶん赤旗日曜版)の講演を聞いたのだが、その話のなかで、ブルカは乾燥した砂っぽい環境に適した防護性をもつ被服で、欧米のマスコミがブルカを「被抑圧」の象徴とばかり伝えるのは一方的な報道だ、との指摘があった。

 この指摘を手がかりにブルカの三つの機能を考えてみると、保湿・防砂塵などの防護性、伝統的文化に生きる女性であるという象徴性(教育や労働からの排除とブルカは無関係)、おしゃれという装身性、あたりではなかろうか。

 問題は、欧米のメディアがブルカを取り上げるとき、これらのブルカ固有の機能は無視し、自分たちで勝手に貼りつけた象徴性(被抑圧)だけで報道してきたことだ。

 帰宅してテレビを見たらテレビでも、アフガンの女性がタリバン崩壊後の今もブルカを愛用している状況に接して「ブルカ=抑圧は一方的な解釈だったか」と反省していた。

 赤旗記者は「ブルカが抑圧的なのではなく、暴力でもってブルカの着用を強制していたタリバンが抑圧的だったのだ。和服がいかに労働に適していなくても抑圧の象徴にはならないが、これを暴力的に着させるときには抑圧的ということになる」と付け加えた。ここらあたりが大事なところなんだろう。

日本のブルカ

 芥川龍之介の『羅生門』に平安時代の市女笠が出てくるが、当時の女性は外に出るとき決して他人に顔を見せなかった。顔を隠すための被服が「市目笠」であり、「かづき」であった。

いちめがさ

ヒノキのヘギいたで作った女性の外出用の深い笠。市目笠のヘリには虫除け用の「むしの垂れぎぬ」がつけられていた。

かづき

上流の婦人が外出のとき、顔を見られないように頭にかぶること。またその衣服、単衣(ひとえ)の小袖が多く用いられる。(『古語大辞典』小学館)

 平安時代のこういう被服をみて「抑圧的」という人はいないと思う。

スカートの中の脚

 また、身体の一部を露出するかどうか、ということでいえば、ヨーロッパの女性がスカートの中の脚を見せ始めたのは第一次世界大戦(1914年〜1918年)以降、1920年代のことだという。

 「スカート」なる語の初出は14世紀(『Merriam-Webster』)だそうだが、この時期以後、第1次大戦まで女性の脚はスカートの中に完全に隠されていた。この脚を少し露出するという新しい着こなしの提案は「衝撃的」(『日本大百科全書』)なもの、(きっとミニスカート以上に)、だったという。

 スカートの中の脚の一部がちょっとだけ他人の目にさらされるまでに600年近くかかったのだが、その後のスカートの裾の上昇は急激で、わずか40年後(1960年代)にはついにミニスカートが出現したのである。

 話がそれてしまったが、このように振りかえってみても、脚を出さないスカートが抑圧的とは思えない。 

   欧米のメディアのジコチュー的な解釈には要注意である。


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