2000年01月16日(日曜日)
学問の痛快さ

  

 忘暮楼の家から数キロの所に葉佐池と呼ばれる溜池がある。谷口をせき止めて作った池である。

 この谷を抱く尾根に未盗掘の古墳が発見されたのが1991年であった。

 最近この古墳で発見された人骨の研究成果が発表された。

 注目されたのは、人骨の頭部から胸部にかけて多数付着ししていたハエのサナギの遺物である。研究者はこのサナギにのなかに2種類のハエが混在していることに着目した。そこには、ニクバエ属のサナギとヒメクロバエ属のサナギが混在していた。

 ハエは完全変態昆虫。卵→ウジムシ→サナギ→成虫を変態する。成虫が好物にたかりそこで産卵し、幼虫が生まれてサナギとなる。「女やもめに花が咲く、男やもめにうじがわく」というからには、いずれ人間とは反対の嗜好を持っているわけだ。

 そういえば、戦艦ポチョムキンの反乱のきっかけは、水兵に出されたボルシチの肉にウジムシが入っていたことだった。腐った肉を使ったというので水兵は憤激した。

 さて、ハエにもいろいろな種類があって、好餌もそれぞれに違うそうである。

 人間の死体があるとすぐにたかるのがニクバエだそうだ。3〜4日して腐り始めると、こんどはヒメクロバエがたかって産卵する。この点から、遺体は、腐り始めるころまではハエがたかることの出来る場所に安置されていたことが推定される。「3〜4日」という期間は念のために県警本部の専門家に尋ねてみたところ間違いないそうだ。

 また、俳句では、ハエは夏の季語。暖かいころに活動する。「五月蝿(うるさ)い」などとしゃれて書くが、旧暦の5月は孟夏である。ハエはこの人物がどんな季節に死亡したかを示唆する。

 さらにハエというやつはある程度明るいところでしか活動しないそうである。ということは、この遺体が死後直ちに暗い墳墓のなかに安置されたのではないとの推定の正しさがさらに補強されることになる。

こうして研究者たちは、次のような解釈を公表した。

  

この人物は夏を中心とする季節に死亡した。遺体はある程度明るい場所に移され、そこで3〜4日以上安置されたと考えられる。

3〜4日明るい場所に安置されるとなると、人里はなれたところでは遺体の安全な管理はむつかしいだろう。したがって、当時なされていたと考えられる「殯」という儀式(今の通夜みたいなもの。死者の前で歌舞飲食をともにする。)は、墳墓の作られた丘の上ではなく、集落の屋内で行なわれたのではないか。  

 

 この推定が正しいかどうかは忘暮楼には分からない。しかし、一つの有力な推論ではあるだろう。

 世の中には、ハエ一筋、ゴキブリ一筋、何を好んであんな研究をしているんだろうと思われるような研究者がいる。そんな研究者の努力が古代のなぞを解くのである。学問というものは痛快なものである。

 研究者の研究効率を云々して、企業に役に立つ研究ばかりを珍重する傾向がある。役に立たない大学はつぶしてしまうのだそうである。研究というものはもっと悠久の世界にあるべきものではないだろうか。