2001年 11月28日 水曜日

教育基本法


教育基本法が変わると……

 私立高校には公立学校を定年退職者の時間講師が多いのだが、先日、そのような時間講師の先生の一人が、私に「教育基本法を変えると言っているようだけど、教育基本法がかわると学校になにか影響がありますかね」と振ってこられた。

 私はちょっと挨拶に苦しんでいると、さらに、「私は長い間教員をやってきたけど教育基本法をかかわったことはなかったなあ」と付け加えられた。手短に話を返すことができず「そりゃ影響がでるとおもいますよオ…」と言ったきりで話を切ってしまった。 

出番

 しかし実際は、教育基本法を金科玉条のごとく掲げる教師より、この先輩のような感じ方をもつ教師のほうが普通なのであろう。

 来春、定年を迎える教員は、公立高校で組合弾圧が始まり、教員に対する勤務評定が開始された1956年には、まだ15歳だった。彼らが教員になったころは勤評体制が確立され、愛媛の教員組合の組織率は数パーセントに凋落していた。勤務評定以前の学校を少しでも知る教員は1994年に公立学校から姿を消している。

 勤務評定後の物言えぬ教師が従事したマニュアル化された教育活動は、いわばそれだけで完結しているので、教育基本法など必要としない。自分は何のために教育と言う仕事をしているのだろうか?自分は何を目指して教育に当たるべきなのだろうか?そういった壁にぶつかり、かつ発言する場がなければ、たしかに教育基本法には出番がない。

 これはきっと間違いないと思うのだが、教育基本法が意識されないということはそのもとになる日本国憲法が視界に入っていないということだろう。そうした教員が一般的だということになると、やはり「道遠し」の思いを深めるのである。この状況が「作る会」教科書を横行させる条件となっている。

 三月には「作る会」教科書が擁護学校で使われようとしている。八月は、県下に新しく設置される中等学校3校での教科書採択がある。このような状況の中ではあるが県民の良心でもって阻止したいものである。


へ戻る Contentsへ戻る