2001年 11月7日 水曜日

「変な人たち」の本当の意味


 「靖国参拝違憲確認等請求事件」訴文の「写経」完成。あとは誤字、打字ミスのチェックである。弁護士の正義実現への熱情と確信がひしひしと伝わってくるすばらしい文章であった。名文ではないかもしれないけど、「写経」に値する文章であった。

 「写経」しながら気がついた。

 11月1日提訴した「靖国参拝違憲確認等請求」訴訟にたいして、被告小泉純一郎は、言下に「変なことをいう人がいる。はなしにならない」と切って捨てた。先の日記では、つとに「変人」として有名な被告小泉に「変な人」と呼ばれた不思議さを揶揄しておいたのだが、実はこの発言には靖国神社公式参拝にまさるとも劣らない重大な政治的意味があった。そのことを「靖国参拝違憲確認等請求事件」訴文から学んだ。

 その重要な意味と言うのは、被告小泉の「変な人」発言を聞いたときに気持ちの片隅で感じた一種の「圧迫感」であった。それは、私というものの思想信条に対する被告小泉の「挑戦」であった。

 被告小泉が靖国神社参拝を断行しようとしていた時の気持ち、断行した時の気持ちもこのようなものであったのであろう。つまり、「変なヤツラ」に大きな顔はさせんぞ、というのである。被告小泉は本件公式参拝によって、「原告らの有する信仰やそれに対する圧迫・干渉をもたらし」、「その信仰・思想信条に脅威を与えた」のである(下掲の訴文より)。

 訴文は本件公式参拝は「原告らの宗教的(非宗教的)自己決定権の侵害である」と断じている。今回の「変な人」発言もこれと同様に私の自己決定権の侵害なのである。

 

 
 

「訴文」より抜粋

(3)遺族原告ら以外の一般人である原告らにとっても、被告小泉による本件公式参拝は深刻な苦痛をもたらすものであった。

 被告小泉が参拝に固執した靖国神社は、戦没者を祭神に奉斎し、英霊と讃えて慰霊顕彰している特定の宗教施設である。内閣総理大臣の被告小泉が本件公式参拝に固執したことは即ち、被告国が戦没者を英霊として慰霊顕彰する靖国神社の特殊な信仰・思想を援助・助長・促進したものであり、その結果必然的に、原告らの有する信仰やそれに対する圧迫・干渉をもたらした。そのために、遺族原告ら以外の原告らに対しても、その信仰・思想信条に脅威を与えた。

 すなわち、原告らは、国家の命令は決して「殺すな」との普遍的道徳律を解除するものとは考えていない。被告国に命令されれば「殺す」ことも許され、英雄的行為となるというような考え方は出来ない。被告国の命令で戦争に出かけ、戦死すればただそれだけで「英霊」と褒めたたえられ、敬意を表されるのでは、いかなる道徳律も、宗教の教えも、深遠な思想も究極的な指針とならないと信じている。しかるに被告国の代表者である被告被告小泉は、「敬意を表するのは当然」と言い切ってはばからない。そして、本件公式参拝を断行した。そのことによって、遺族以外の原告らは、被告国から、自己の信仰の中核、思想信条の核心に挑戦されている、これを捨てるように強制されているとの深刻な不安をかき立てられた。

 これは、原告らの宗教的(非宗教的)自己決定権の侵害である。

 


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