2001年 月日 曜日

「教師としての立場」


 刑法では、他人を羽交い締めにしたり縄で縛ったりして、他人の行動の自由を拘束することを「逮捕」という(警察官による「逮捕」は刑法上の用語ではなく、刑事訴訟法上の用語だそうだ)。
 また、人を「逮捕」以外の方法によってある場所に閉じ込めることを「監禁」といい、さらにある行為によって人を死に至らしめることを「致死」という。

 9月8日、兵庫の中学校教諭が、12歳の少女に手錠をかけて「逮捕」し、車の中に「監禁」し、車から高速自動車道に落ちた少女を放置して「致死」に及んだというので「逮捕監禁致死容疑」で逮捕された。

 9月10日には、鹿児島で、女性に対して黒い手帳をちらつかせて警察官を名乗り、職務質問・身体検査と称して女性の身体に触るという行為を繰り返していた高等学校教諭が「準強制わいせつ容疑」で逮捕された。警察を名乗って相手を「抗拒(抵抗)」できない状態にしておいて猥褻な行為をした場合は、「暴行・脅迫」による強制猥褻行為に準じて「準強制猥褻」とみなされるらしい。

 1999年度、猥褻行為で処分された公立学校教員は115名、前年度の1.5倍だそうだ(本日付け愛媛新聞『地軸』)。処分されなかった事例や私立学校の同様の事例を含めると教員の猥褻行為事件は相当の数にのぼるに違いない。

 さて、兵庫の手錠教師は「教師としての立場を失いたくなかった」ので、車から落ちた少女を助けずに逃走したと供述しているらしい。

 「教師の立場」にあれば、とりあえずまわりから「先生」と呼ばれ、特に優秀でなくとも、普通に勤めていれば世間から「堅い仕事」をしているものとしてそれなり信用される。

 手錠教師は、教師ではない単なる男としての立場で、単なる男としての常軌を逸する行為に走っていたのだが、少女が落車した段階で、「これを救助し病院に連れて行くと自分が教師であることが露顕する。そうなると当然「教師としての立場」を失うことになる」と考えて逃走したというわけだ。

 教師としての立場と、教師である自分の生き方が完全に乖離している。すでに多くの人が指摘していることだが、やはりここに事の本質がある。

 教師として立場と、教師であろうとする人間の生き方の関係を規定するものは教育基本法だったど思う。歴代自民党政治の趨勢に迎合して教育の根本法規である教育基本法を軽んじ、「真面目でおとなしく教育熱心な教員」(このタイプの教員が問題を起すようだ)に高校・大学入試での成果を競わせる学校では、教師はよくて普通の人間、おおよそは普通以下の人間のままで「学校ごっこ」にいそしむことになるのである。

 気がつけば、忘暮楼の在職校の「生徒手帳」も、これまでずっと「教育基本法」が掲げてあったのに今年度版からそれが削除されていた。私はこれを一つの堕落と見る。こういう動きが問題教師を生むのである。


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