2001年 8月15日 水曜日

平和主義はイデオロギー


 昨日の教育委員会への扶桑社版採択撤回を要求する集会は、教育委員会がゲーム化したことですっかり後味が悪い集会になってしまった。場合によったら、こちらの願いが最終的に届かなくても、長時間の交渉に耐えてくれた教育委員の労苦を称えて拍手でも送ろうかと思っていたのだが、とんだ御笑い種、

 ペテンに満ちた集会だったが、教育委員からは正直な発言もありはした。その一つが土居俊夫教育委員長(南海放送代表取締役社長)の

平和主義はイデオロギーだ

であった。ここでいう「イデオロギー」とは「特定の時代の、特定の人々の考えかた」ぐらいの意味であろう。つまり「平和主義」といっておも相対的な価値を持っているだけで、戦争中にはその時代にふさわしい考え方(この場合は「イデオロギー」とはいわないかも知れないなあ…)があったのだ、と言いたいわけである。

 もちろん日本国憲法の平和主義など昔は通用しなかったし、これからも通用しなくなるだろう、と見通しているのである。

 と、忘暮楼は教育委員長の胸中を推察したのだが、これが当っているなら、この御人は南海放送代表取締役にはどうか知らないが、少なくとも教育委員にはふさわしくない人物と言うことになる。日本の教育は憲法の理想を実現するためにあるのであるから。

 昨日の集会の様子を朝日新聞は次のように伝えている。

 

採択の波紋 話し合い再び平行線
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 「説明責任の放棄だ」 。扶桑社版の歴史教科書採択をめぐる県教委と、障害者団体やアジア諸国との交流を進める民間団体などとの話し合いは、15日も平行線をたどった。

 事前に約束していた時間になると、県教委側が一方的に打ち切り。採択結果は午後4時20分、文部科学省に通知された。市民団体側は今後も、採択撤回を求める運動を続けるとしている。

 午後2時から1時間半の話し合いには、県教委の土居俊夫委員長や吉野内直光教育長ら委員5人が出席。市民団体側は、約200人が傍聴につめかけ、約30人が発言した。主なやりとりは次の通り。

 −−学習指導要領の「国際協調の精神」 について、どう審議したか。

土居委員長 大事なことと思うし、それを踏まえて審議した。扶桑社版は、近代史における日本の行動について、反省も込めて十分描かれている。

 井関和彦委員 アジアでの国際関係については審議したが、候補だった8社の本を照らし合わせる、という審議はしていない。

 −−学会でも史実の誤りが指摘されている。

 土居委員長 単純な年代のミスもあり、厳しく直さねばならない。

 −−養護学校の現場の実態を考慮したか。

 土居委員長 現場でどう教えるか、どこまで教育目標が達成できるかが大きな課題、という以上に話は進展しなかった。それは県教委の責任だ。

 −−戦争肯定につながりかねない教科書で障害児を教育してほしくない。

 土居委員長 歴史は事実の積み重ね。冷厳に事実を教えることが必要だ。

 話し合い終了後、県教委の職員らが、委員らが退室する間、出席した市民や報道陣を会場となった県庁第1別館の大会議室に「一時監禁」 する騒ぎがあった。

 13日の話し合いで、15日は話し合いの時間を1時間半に限るとしていた。このため、午後3時半を過ぎると、吉野内教育長が「時間が来たので」 と話し合いを打ち切った。委員らは、直接廊下に出るドアを使わず、別のドアから隣の部屋を経由して、別館の東端にある非常用エレベーターに乗り込んだ。

 その間、委員らが退出したドアが一時施錠された。廊下側のドアは職員数人が外側から押さえつけた。委員のコメントを求めようとした報道陣が開けるように求めても応じず、廊下にいた職員の1人が「もうええけん、開けてやれ」 と指示するまで封鎖された。

 県教委教育総務課の藤岡澄課長は「職員には『委員がスムーズに退室できるように』 としか指示しておらず、ドアを押さえつけたのは職員のとっさの判断だったと思う。早急に事実関係を調査したい」 としている。


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