2001年 8月14日 火曜日

4日で到着


 「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書採択を撤回させる大規模な運動が続いている。松山・日本コリア協会も今この戦いに全力を注いでいる。その上、忘暮楼が三瓶町で学習塾をやっていた頃に作った合唱サークル「たき火」の30年ぶりの「同窓会」もあったりしてむちゃくちゃに多忙な日々である。

 韓国から帰りの機中で知り合った漢陽大学名誉教授・元致奎先生の求めに応じて、8月10日、拙著(共著)『住友別子銅山で<朴順童>が死んだ』を航空便でお送りしたところ、今日先生から落手された旨電話があった。たった4日で届いたわけだ。残念ながら私の不在のときであったので留守番電話になってしまったがご丁寧なねぎらいのことばをいただいた。感謝。

 元致奎先生のご家族が松山にこられたとき、Kさんに車を出してもらってあちこちご案内した。昼飯は北条鹿島で鯛めしを味わってもらった。ソウル在住の妻からの電話によるとさっそく電話連絡があり、昨日はコリアナホテルで日本食をたっぷりご馳走になったそうだ。「これはカタキウチのほんの序の口、これから月に一度いっしょに御食事をしながら韓国語を教えてあげます」といっておられたそうだ。江戸の敵を…じゃないが、松山の敵をソウルで、と言うことらしい。これではかえって迷惑をかけてしまったみたいだ。


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