2001年 8月8日 水曜日

大日本帝国の植民地支配がもたらしたもの


 韓国旅行の帰りの便で韓国人老紳士と隣り合わせた。乗務員が食事を持ってきたとき「ビール、頼みましょうか?」と声をかけたのが歓談のきっかけとなった。「昭和8年生まれです。となりは妻で昭和10年生まれ…」。

 「植民地時代はずいぶん辛い目に遭わせてしまったのでしょうね…」、「いや、こうして日本語でしゃべれるようになりましたから」

 「いつも気になっているのですが、8・15の解放のときハングルの書ける朝鮮人はほとんどいなかったそうですね」「はい、そうです」、「そうすると手紙を書くときは日本語でかかれたのでしょうか」「いや、当時の生活では手紙を書く必要などなかったのですよ」

 こんな会話の中でとうとうこんなショッキングな話を聞かされた。

 

 終戦の年、私は6年生でした。その後すぐに始まった小学校の授業では、ハングルがわかる子どもはひとりもいなかったのですから、1年生から6年生まで、みんな同じ教科書をつかったものですよ。


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