2001年 6月30日 土曜日

 父・尾上円衛の会社葬において
 臼井千尋氏より賜った弔辞


  父は1944年6月4日中国張家口市の病院で病死した。死因は発疹チフスだった。
 父が勤務していた蒙彊興業股イ分有限公司(「股イ分(こふん・クーフェン)」は二字。「股イ分有限公司」は日本の「株式会社」に当たる)は父の功績を評価し疫病死ながら弔うに社葬をもって遇してくれた。六月十三日営まれた社葬には、大阪から急行した母と満二歳の私が列席した。

 次は董事長(とうじちょう)(理事長)臼井千尋氏より賜った弔辞である。

 
 

弔辞

決戦今(たけなわ)であります この時にして吾等の製鉄部原料科主任尾上円衛君を黄泉に送る 誠に断腸の思であります

(ここに)に壇を清めて尊霊を迎へ公病死により殉職として社葬の礼を以て挙社敬悼を致し冥福を祈るものであります

君は愛媛県に生まれ大阪に長じ府立市岡中学校を卒業し早く志を冶金(やきん)に立て大阪工業専修学校高等部採鉱冶金科を卒業し 職を大阪製鉄会社、栗本鉄工所、中山製鋼所、西田鉄工所等 製鉄関係の業に従事され 大東亜戦争が鉄鉱の莫大なる消耗戦となる趨勢に鑑み大陸各地に特設溶鉱炉が国策として建設せらるゝに当たり耳順(じじゅん)に近い身を以て 奉公の道大陸の製鉄にありとして一つには翼賛やみがたい忠誠の念慮に 一つには大庭製鉄部長に報ぜんとの友愛の情に 家庭の恩愛を一時犠牲として大陸の残冬猶ほ厳寒の二月十八日この朔北宣化に着任せられたのでありました 

当時原料関係の為に稍ゝ(やや)生産停頓の形であつた溶鉱炉に新鋭熱火の意気を以て当り言語の不通習俗の相違折柄の残寒身に徹する中に 或時は黄塵万丈の朔風の中に製鉄部を中心とする挙社の協力と共に 三月度彊域の増産月間に再び第一炉をして生産勝利の日章旗を挙げしめたこと三日 大いに増産増送に気を吐いたのを初め 次で大陸製鉄査察団の来場の前に場内整理の任に当たり所管関係の整理を完了して指弾を免れたようなことは皆君の老功巨碗 に拠るもので 資性温良 謙譲の美徳 長を敬し部下を愛し以て吾等同志の範とすべきものとして上下信頼して(おおい)に君に寄つて決戦下の最大緊要な製鉄業の完璧を大陸第一の優績を期待したものであります

然るに一度病症に臥し高熱(たちま)ちにして発疹チブスと判定 直ちに入院 日ならずして急死と (たまた)ま張家口にあり 火葬を送り 六日遺骨を駅に迎へ 今又慌しく急報に駆け付けられた御遺族の着宣と共に社葬を行ふ 誠に夢の様な拾日を送り迎へて 改めて霊前に立つて 重厚な君の尊敬すべき資質を偲び 原料置場に指揮する英姿を偲び 大陸挺身の壮心を思ひ起すとき 僅かに四ヶ月にして病魔に倒れたことを実に残念として 社業の上にも実に重大なる損失として 惜しみても猶余りあるものです

併し繰言を遂に返し得ない現実 今君の遺骨に対しても何とも致し方ありません 君が本土出発の前 家人に言はれた「大陸に骨を埋むる」 これこそ大東亜の建設の根本であり 君の仕事 製鉄の業こそ戦力の根本であるので 大陸に製鉄に死したことこそは 皇国民の本願である 忠死であり 大陸建設の礎石を身を以て築かれたと云ふべきであります

猶伺へば君の長子は農学校に学び卒業も近い由 私共の会社でも欲しい位であります 遠く当地に尋ねられた三才の御児は流石に御心に残りせう 併し賢婦人のよく君なき後を守つて誤りのないのを信じます 君の友も之に協力を惜しみませんでせう

何卒今は安らかに御眠り下さい そして御愛児の上を溶鉱炉の幸先を御守り下さい

今こそ国を挙げて凄惨な決戦です 蒙興の同志一同又結束して君の製鉄邁進のくろがねの意志を受け継ぎたゆまないことを契ふものです 尊霊永久にとどまって照覧くださいませ

以上を弔辞とします

昭和十九年六月十三日

蒙彊興業股イ分有限公司    

董事長 臼 井 千 尋