2001年 6月27日 水曜日

 父の葉書
 5月注下旬


 
5月10日消印 母宛西風が強く吹いた日のの翌日は東風が吹き荒れ、そして今日は初夏の好天気。楊柳の若葉が美しい。村の寺子屋での地元の中国人との交流もある。また会社の仲間と鷄料理で一杯。

5月12日消印 守宛この葉書が後にも先にも父が私にくれた唯一の葉書である。あと2週間無休・無欠勤を続ける、とある。しかし、父は2週間と少し後に病死するのである。

5月16日消印 兄宛5月も中旬だが雪が降る。鉱石が、石灰が、コークスが足りない。会社の制度に問題があると言う。父も頑張るからおまえも頑張れと兄に呼びかける。少し疲れが出ているようだ。

兄の奮励ぶりが父の労苦の支えになっているのである。

5月19日消印 母宛仕事はいよいよ大変のようであるが「身体はいよいよ頑健」とある。仲間と酒を酌み交わしながらあくまでも前進、前進である。精神の余裕も失わない。上司は休みをとった。

 この日は母の誕生日であったがその件は触れられていない。そんな時代でもないのだろう。

5月20日消印 母宛頑強な父もここではじめて健康を害する。

この葉書が大阪の母の手元に届くのは、片道2週間であるからほぼ6月4日。その日父は発疹チフスに冒されて死んでしまうことになる。

東京でも発疹チフスが猛威をふるっている。この病気は潜伏期間が5〜14日、発症後3日で40度の高熱、関節痛、結膜充血、発疹ということなので、このときすでに発疹チフスに感染していたと考えるべきであろう。

父の急逝は、逞しいアカマツがあっというまに赤枯れ病の餌食になってしまうような展開だった。不屈の精神であったが身体はぼろぼろであったのかも知れない。