2001年 5月24日 水曜日

学習ノート
 ハンセン病差別の系譜(5) 大日本帝国の優生政策
 厚生省は戦争遂行のためにつくられた 

『優性操作の悪夢』(天笠啓祐著 社会評論社1996)の復習


  大日本帝国の優生政策を年表でまとめておく。厚生省がなんのために作られた役所かがよくわかる。

1907(明治40)年法律第11号「らい予防に関する件」によってハンセン病患者の隔離政策が確立した。
1909(明治42)年全国5ヶ所に「療養所」が作られハンセン病患者隔離が始まった。
1916(大正5)年6月 保健衛生調査会(会長は内務次官)設置。設置目的についての内務省中川衛生局長の説明…
「緊急課題としては、乳児、幼児、青壮年者の死亡率増高の原因調査」

「肺結核、花柳病、癩(ハンセン病)等の予防撲滅法」の研究

など

1917(大正6)年しかし、保健衛生調査会が実際に最初に取り組んだことは、「死亡率増高の原因調査」や疫病の「予防撲滅法」の研究ではなく、「精神病者」の全国実態調査(1917年)だった。
1919(大正8)年
この結果に基づいて精神病院法が制定された。それまで多くは自宅監禁されていた「精神病者」を新たに設置される精神病院に強制的に入院させることとした。国家による強制的隔離政策の始まり。
1922(大正11)年
サンガー夫人の「両刃の剣」
サンガー夫人の来日。サンガー夫人の二つの発言。
「女性労働者の生活を貧しく、苦しいものにしているのは多産である。」

「知的な人々の出産率を相対的に高めるという要望に対する答はただ一つしかない。それは狂人や精神薄弱者の重荷を取り除けと政府に要求することだ。そしてそのための手段は断種である。」

 その後産児制限運動が高揚し、かつ左翼運動化する。
1927(昭和2)年米騒動(1918年)の再発を避けるべく「人口食糧問題調査会」が設置された。
1928(昭和3)年人口食糧問題調査会が「民族衛生に関する調査会設立の必要」を答申。
1930年人口食糧問題調査会が、人口問題に関する常設機関の設置を答申。
1930(昭和5)年この年に設立された日本精神衛生協会は設立するや否や、「精神病者」の発生予防、すなわち「断種」を提唱。
1931(昭和6)年満州事変勃発。軍部が徴兵検査などで国民の体力低下の現実に直面、「国民体力と出生率の増強」を打ち出した。
1933(昭和8)年
7月
ナチス断種法成立
1936(昭和11)年陸軍省が、「結核予防と乳幼児の死亡率低下」を重点とする「社会保健衛生行政」を特別に担う新しい省設立を求め運動を起こす。
1937(昭和12)年
戦争のための人材確保体制確立
○1月 学校身体検査規程制定。
○3月 母子保護法制定
○4月 保健所法制定
1938年
1月11日
ついに厚生省設立
陸軍の圧力のもとに「社会保健行政」を担う新省「厚生省」が誕生。戦争のための国民改造運動が始まった。
1938(昭和13)年○厚生省予防局に優生課を設置。
○厚生省内部に「民族衛生研究会」を設置。
1939(昭和14)年○厚生省に「人口問題研究所」を設置。
○内閣に、「国民体力審議会」を設置。同審議会が「国民優生法案要綱」を答申。
○厚生省優生課が「国民優生法」づくりを進める。
1940(昭和15)年
国民優生法成立
「国民優生法」可決成立。厚生大臣の上程説明は次の通り。
悪質なる遺伝性疾患の素質を有する国民の増加を防遏(ボウアツ)するとともに、他面においては、健全なる素質を有する国民の増加を図らんとするもの
そのための方法として
遺伝性疾患を有する者の優生手術(断種手術)
をあげつつも、人口の増大を図るため
「避妊手術又は妊娠中絶等の如き行為の濫用せられることを厳重に取締」
るとした。

国民優生法が断種の対象としたものは次の通り。あいまいで抽象的であるため広範囲の人間を対象とすることが出来た。

  • 遺伝性精神病
  • 遺伝性精神薄弱
  • 強くしかも悪質な遺伝性病的性格
  • 強くしかも悪質な遺伝性身体疾患
  • 強い遺伝性奇形
1941(昭和16)年"大東亜共栄圏の建設発展のために"「内地人1億人」を目標とする「人口政策確立要綱」を閣議決定、「産めよ殖やせよ国のため」、男は戦地へ、女は多産を、が戦争政策のための人口政策だった。
1942(昭和17)年人口問題研究所が再編されて「厚生省研究所・人口民族部」となる。