2001年 5月28日 月曜日

学習ノート
 ハンセン病差別の系譜(4) ヒットラーの優生学 

『優性操作の悪夢』(天笠啓祐著 社会評論社1996)の復習


  ヒットラーの断種・結婚・安楽死政策を年表でまとめておく。

1925・26年 ヒットラーは『我が闘争』のなかで次のように述べた。
「歴史は驚くべき明瞭さをもって、アリアン人種がより劣悪な民族と混血した場合、その結果として必ず文化を担う者たる地位を喪失したことを示している。」(混血の禁止)

「身体的、精神的に健康かつ正常でないものは、その苦しみを子孫の身体に残しつづけるべきではない。」(断種の断行)

1932年プロイセンで、ナチスの断種法に先駆けて、断種法草案が作成された。
1933年
1月30日
ヒットラー内閣成立
1933年プロイセン司法大臣のハンス・ケルによってナチス刑法覚書が出された。「生きる価値のない生命の滅却」という表現が打ち出された。
1933年
7月
ナチス断種法成立
1935年
9月15日
ニュルンベルク法が発布されてユダヤ人との結婚が禁止された。
1939年
9月1日
ドイツ軍、ポーランド侵攻当日、ヒットラーはナチ親衛隊隊長やに障害者・不治の病の患者・重病者を安楽死させ得る権限を与えた。犠牲者数は27万5000人と推定されている。
1942年
1月20日
ワンゼー(現西ベルリン)会議で、全ヨーロッパのユダヤ人を東ヨーロッパに輸送して強制労働に従事させ、できるだけ死亡させるという「絶滅政策」が決定され、実施されて、病弱者は初めからガス室などで殺された。殺された者は450万人内外と推定される。