2001年 3月15日 木曜日

 石仏像破壊


  アフガニスタンの90%を実効支配しているというイスラム原理勢力「タリバン」が国内の佛像を破壊している。このところマスコミに取り上げられているバーミヤンの大仏も破壊の対象だが、それだけではない。国内の博物館の仏像も皆破壊されている。「仏像の文化的価値は認めるが、イスラム首長国であるアフガニスタンにおける彫像の存在はイスラムの信条に反する」(ムキワキル外相)というのが破壊理由である。

 私がいいかげんな仏教徒だからこう思うのかもしれないが、私はこの行為に特に腹立たしさは覚えない。これらの破壊行為によって彼らの信仰は純化されているのだと思う。宗教的な要請と文化遺産の継承の問題は、同じ次元で語ることが出来る集団もいれば、出来ない集団もいる。

私がこの破壊行為から連想させられたことは、日本帝国崩壊直後、朝鮮全土で繰り広げられたという神社、祠、奉安殿の破壊であった。朝鮮人は、35年間の植民地時代の恨みを(1)警察官署、(2)神祠・奉安殿、(3)朝鮮人警察官、(4)朝鮮人官吏にぶつけたのだったがこれも十分に理解できる。

 マスコミが手前勝手な報道をするのは今に始まったことではないが、どうせ報道するなら、せめて次のような事実には触れるべきであろう。

  1.  ビザンティン帝国皇帝レオン三世が726年、宗教上の理由から宮殿の門のイコンを撤去させた。これがイコン破壊運動を呼び起こし、東西両教会分離の引き金になった。イコン崇拝が復権したのは117年後、843年に開いた主教会議であった。

  2.  明治1年、新政府の命令で全国で廃仏棄釈が進められ、多くの寺が破壊され、仏像・仏具などの文化財を失った。

  3. アイヌ人は、明治政府の成立とともに移住してきた和人の「開拓」によって、神々の座を乱暴に蹂躙され、現在もそのままである。

  4. 皇軍は沖縄戦に備えて、こともあろうにのちにユネスコ世界文化遺産となる首里城に司令部を構えた。首里城が連合軍の猛爆によって全壊させられたことは言うまでもない。