2001年 3月9日 金曜日

 昭和11年の今治市会議員選挙で朝鮮人立候補者23票獲得


   『住友別子銅山で<朴順童>が死んだ』(尾上守・松原満紀共著)の巻末年表に次のような記事がある。

 
 

1936(昭和)11年 5月28日、今治市会議員選挙に理髪業鄭米介(34、全羅南道出身)が立候補して落選、得票数23。 

 

 「特高月報」の記録である。
 4月7日に「定住外国人の地方参政権を考える」をテーマに講演会を開催することになったが、このように日本でも朝鮮人が「選挙権」も「被選挙権」も持っていた時代があった。

 朝鮮人への参政権の付与と剥奪の歴史を簡単にまとめておこう(『定住外国人の地方参政権』徐龍達・編 日本評論社によった)。


1910年8月22日〜
1945年12月16日
日本帝国、大韓帝国を併呑。朝鮮人を帝国臣民とする。朝鮮人の本籍地はすべて朝鮮に固定した。

選挙区の設けられている地域(つまり日本本国)に居住する朝鮮人には衆議院議員の選挙権・被選挙権が付与された。

朝鮮には選挙区が設けられていないので(!)、朝鮮に居住するの朝鮮人には参政権が認められなかった。

1945年8月15日日本帝国皇軍、無条件降伏
1945年12月17日〜
1952年4月18日
戦後も引き続き日本に居住した朝鮮人は日本国籍を継続して有したが、参政権の法は「戸籍が日本国内にない」という理不尽な理由で剥奪された。
1945年4月19日〜今日 すべての朝鮮人及び台湾人の参政権が、法律によってではなく、法務省民事局長通達によって剥奪された
 

 

 

 


--資料--

 

1910年当時の選挙法の選挙権資格


帝国臣民たる男子にして年齢25年以上のもの

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 


 

1929年〜1942年における各種議会議員朝鮮人当選者


衆議院 2人
市会 30人
区会 2人
町会 22人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

1945年8月15日以降の時期における日本国籍保有に関する資料


1946年11月5日付
「朝鮮人の地位及び取り扱いに関する総司令部渉外局発表」
「総司令部の引揚計画にもとづいて本国へ帰還することを拒絶するものは、正当に設立された朝鮮政府が、彼らに対して朝鮮国民として承認するまで、その日本国籍を保持するものとみなされる」
1949年1月26日
法務庁民事局長回答
「朝鮮人の国籍」
「日本政府は、日本国内に居住する朝鮮人は、依然、日本国籍を有するものと解すべきであり、」

「講和会議において正式に決定されるものであり、現在は未確定の状況にある。条約締結に至っていない現在、彼らは日本国籍を失っていないというべきで、ことに日本在住のものに関してはそういえる。」

1949年4月28日
最高裁判所事務局長より参議院法制局長あて回答
終戦前から引き続き日本に在住する朝鮮人は……従来通り日本国籍を有するものとして取り扱うほかはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

朝鮮人から日本国籍(参政権)を剥奪した法務省局長通達


1952年4月19日付
法務省民事局長通達
(民事甲第438号)
「朝鮮及び台湾は、条約の発効の日から日本国の領土から分離することになるので、これに伴い、朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めて、すべて日本国籍を喪失する。」
付録

世界人権宣言第15条2項

「何人も、ほしいままにその国籍を奪われ(たり)、又はその国籍を変更する権利を否認され(たりす)ることはない」


※悪文にて忘暮楼、( )を補筆(^^ゞ