2001年 3月8日 木曜日 | ||||||||||||||||||||||||||||
学童数に対する教員の比率と植民地教育 |
||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||
『植民地』(マーク・ピーティ著 読売新聞社 1996)がやっとあと60ページほどになった。 日本帝国は、北から「樺太」「朝鮮」「台湾」という三つの植民地を領有し、日本の信託統治下に置かれた「南洋」も実質的には植民地として経営していた。これらの植民地を相互に比較しつつ、日本の植民地の全体像を解明する労作である。この本で学んだこともおいおい書き記してみたい。 植民地における学校制度もついても興味深い分析がなされている。 台湾における学校制度は、日本人と台湾人との間ではっきりとした差別が会った。当時、台湾では日本人のためには日本国内とおなじ「小学校」が設置されていたが、台湾人の子どもたちは、それとは別の「公学校」に通学させられていた。「公学校」の教育目的はあくまでも制限的で……全面的発達をめざしていないということ……公学校卒業生がいかに有能であっても、その活躍の場は医療と教育の分野に限られていた。 1922(大正11)年、田健治郎台湾総督が第2次台湾教育令(勅令)を制定した。この勅令によって、台湾人の子どもでも日本人並みの国語力があれば「小学校」に通えることになった。
さらに、南洋パラオ諸島コロールでは教師1人で80人の学童を教え、島民達は日本語が読めるようにならないだけでなく、自分たちの言葉を書く訓練さえ受けられず、「自分に誇りをもてるようになるものは…何も教えられなかった」という。 ここまで読んで私はため息をついたのである。つまり、愛媛(日本というべきか)における私立高校と公立高校の格差の持つ意味を考えさせられたのだ。 既報のように愛媛県は平成(1989年〜)に入って年次計画的に高校の学級定員を40人に削減してきた。松山地方ではそのために私立高校が利用された。この地域の私立高校はもともと教師と生徒の比率が公立高校より劣悪であったのだが、この間も公立校の学級数は増やさず、生徒を私立学校に吐き出すことによって40人学級を実現して行ったのである。 県立高校を40人学級にするために、私立学校には50人学級や60人学級が生まれた。これはどういう意味か。私の頭には次のような等式が去来するのである。私立高校を踏み台にして公立高校の教育条件を整備するやりかたは、一種の階級教育なのではないか。
| ||||||||||||||||||||||||||||
|