2001年 2月22 木曜日

 学習ノート
生徒の集団虐待と学校の責任 11
   自殺事件に関する損害賠償請求に
   相当因果関係説を適用することの是非について


  采女 博文さんの 『いじめと人権--いじめ裁判例を読む』 【1995年度鹿児島大学公開講座 リカレント法律学−人権− 】(法学科主催) の学習ノートの続きです。全文はここの『イジメ根絶のページ』の上記論文を見てください。

釆女博文さんはここで、

いじめによる自殺事件での損害賠償請求においては相当因果関係説を適用すべきではない

と主張されます。

難しい言葉がポンポンでてきます。次は、所論中の用語についての忘暮楼のいいかげんな説明です。(-_-;)

故意 結果を予見した上での行為(赤信号であることを知った上で交差点に進入する、など)
過失 結果を予見すべきであったのに、不注意によって予見できなかった行為(赤信号であることに気がつかないで交差点に進入する、など)
不法行為 損害賠償の義務を生じる行為(先行する車に追突する、など)
相当因果関係説 英語ではreasonable causeというらしい。リーズナブルだと判断できる因果関係のこと。
 リーズナブルかどうかを判断するとき、原因になった行為が問題となっている損害を生じると「予見することができる」かどうか、が重視される(予見可能性 )。予見できなかった損害については、リーズナブルな因果関係とは認められえないので、賠償義務は生じない、などと論じられる。

では、学習ノート始まり。


不法行為と相当因果関係説

 生徒の自殺に予見可能性がなかったことを根拠にして、学校側には責任がないとした判決【6、8】は、裁判実務のとる相当因果関係説=民法416条類推適用説の問題点を浮き彫りにしている。

 相当因果関係説=民法416条類推適用説に対しては、かなり古くから問題点が指摘されている。

末弘厳太郎は、不法事件における立証の困難性の問題について、債務不履行の場合と比較して、つぎにように述べている。

 
 

1 債務不履行の場合には
2 特別事情を予見する債権者は債務不履行の発生に先立ちあらかじめこれを債務者に通告して将来に備えることができるし、
3 そうすると債務者の側でもあらかじめ注意して債務不履行におちいることを避けるよう努力する。

4 これと異なって不法行為による賠償義務は
5 不法行為によって突発するのであるから、
6 もしもこれに第416条を適用すると、
7 立証困難のため被害者が「特別ノ事情」による損害の賠償を請求することは非常に困難であろう。
8 不法行為に関しては、
9 あくまで具体的事情について実害を探求し、
10 不法行為制度の精神にかんがみ
11 実質的に相当因果関係の範囲を考慮して責任額の内容を決定すべきである。  

 

 山田晟・来栖三郎の研究は、わが国の相当因果関係説の特殊性を、

 
 

1 ドイツの相当因果関係説は
2 ある行為が「一般的に」1定の損害を惹起せしめるに足るとき、法律上その行為をその損害の原因とみるのであり、
3 「一般的」とは「通常」よりも広い、通常でない「特別事情」をも含むのであり、
4 そしていずれの場合にも当事者の予見可能性を問題にしないものであり、
5 わが国の判例の相当因果関係=416条類推適用説は独特のものである 

 

と指摘している。

 さらに最高裁の判決文中にも、民法416条の類推適用を批判する少数意見(大隅健1郎)が表明されている。

 
 

1 「これに反して、多くの場合全く無関係な者の間で突発する不法行為にあっては、
2 故意による場合はとにかく、過失による場合には、
3 予見可能性ということはほとんど問題となりえない。

4 たとえば、自動車の運転手が運転を誤って人をひき倒した場合に、
5 被害者の収入や家庭の状況などを予見しまたは予見しうべきであったというがごときことは、実際上ありうるはずがないのである。

6 その結果、民法416条を不法行為による損害賠償の場合に類推適用するときには、
7 立証上の困難のため、被害者が特別事情によって生じた損害の賠償を求めることは至難とならざるを得ない。

8 そこで、この不都合を回避しようとすれば、
9 公平の見地からみて加害者において賠償するのが相当と認められる損害については、
10 特別事情によって生じた損害を通常生じた損害と擬制し、
11 あるいは予見しうべきでなかったものを予見可能であったと擬制する
12 こととならざるをえないのである。

13 そうであるとするならば、
14 むしろ、不法行為の場合においては、
15 各場合の具体的事情に応じて実損害を探求し、
16 損害賠償制度の基本理念である公平の観念に照らして加害者に賠償させるのが相当と認められる損害については、・・・・・・
17 すべて賠償責任を認めるのが妥当であると言わなければならない。

18 不法行為の場合には、無関係な者に損害が加えられているのであることからいって、
19 債務不履行の場合よりも広く被害者に損害の回復を認める理由があるともいえるのである」。

20 「右のような見解に対しては、
21 当然、不法行為による損害賠償の範囲の認定につき裁判官の恣意が入り込むのを許すことになり、
22 法的安定を害するとの批判が予想される。

23 しかしながら、不法行為による損害賠償につき民法416条を類推適用しても、
24 ある損害が通常生ずべき損害であるか、特別事情によって生じた損害であるかの限界は必ずしも明らかでなく、これを区別することは実際上困難な場合が少なくなく、
25 そのことは予見可能性の存否についても同様であって、
26 結局は、公平の観点に照らして行為者にその損害を賠償させるのが妥当かどうかの判断が先行し、
27 それを前提として民法416条の規定の解釈上の操作がなされることになるのである

(最判昭和48(1973)年6月7日民集27
巻6号681頁、最判昭和49(1974)年4月
25日民集28巻3号447頁の大隅意見も同
じ)」。
 

 


いじめによる自殺事件は、完全な償いがなされるべきである

 賠償の範囲については、原だ正純が、水俣病についてのチッソ・行政の責任論を論じて、こう述べている。この論点は自殺事故の場合にも同じことがいえるだろう。

1 「第3の責任は救済の責任である。
2 すなわち、百歩も2百歩もゆずって
3 発生も阻止できず、拡大も阻止できなかったとして、いったいあとなにが残っているかといえば、
4 それは即時全面的な救済、完全な償いをするしかないはずである
(原田正純『水俣が映す世界』(日本評論社、1989年)8頁)」。

そもそも民法は不法行為への相当因果関係説適用を問題としていなかった。

 結局、損害賠償の範囲の問題については、民法の出発点に立ち戻って考えるべきと思われる。この点では山田晟・来栖三郎の研究や平井宜雄『損害賠償法の理論』(1971年)309頁以下が参考になる。

 山田・来栖論文は、その研究の結論として、

 
 

「日本民法は、・・・・・・損害賠償の範囲は当事者の予見可能性の有無を問わず当該不法行為と相当因果関係にある全損害であったと思われる(「前掲論文」223頁)」 

 

と述べている。

 判例もまた当初は、民法416条は不法行為には適用がないとして、予見可能性を問題にしていない

 
 

1 「不法行為より生ずる損害の賠償については
2 民法第416条の規定を適用すべきものにあらず。
3 いやしくもその行為と損害との間に因果の関係を有するにおいては
4 その損害が通常生ずべき損害なりと又は特別の事情にによりて生じたる損害なるとを問わず
5 ひとしく加害者においてこれが賠償を為すの義務を有するものとす。
6 しかしてその行為と損害との間に因果関係ありとみなすには
7 事物通常の状態により社会普通の観念に基きこれを判断するの外なきものとす。

(大判大正6(1917)年6月4日民録23輯1026頁)」。 

 

 富喜丸事件の判決(大民刑聯判大正15(1926)年5月22日民集5巻6号386頁)を契機に相当因果関係説=民法416条適用説へと裁判実務は変わっていったのだが、富喜丸事件についての最も詳細な論文も、具体的結論および一般論ともに不当であり、

 
 

「富喜丸理論の地位はいかなる意味においてももはや維持されるべきではない

(平井宜雄・栗田哲雄「富喜丸事件の研究(2)」 法協88巻2号(1971年)253頁)」 

 

とその研究の最後を結んでいます。