2001年 2月21日 水曜日

 学習ノート
生徒の集団虐待と学校の責任 10
   政策判断(価値判断)のありかたについて


  采女 博文さんの 『いじめと人権--いじめ裁判例を読む』 【1995年度鹿児島大学公開講座 リカレント法律学−人権− 】(法学科主催) の学習ノートの続きです。全文はここの『イジメ根絶のページ』の上記論文を見てください。

 生徒の自殺事件で、学校の責任はないとする判例についての検討です。ここでは「相当因果関係説(reasonable cause theory)」の背景にある「政策判断(価値判断)」のありかたが分析されます。

釆女先生の見解の要旨後遺症を苦にして被害者が自殺したケースと、いじめ自殺のケースとは、同じ価値判断に服するべきだ

それでは始まります。


 生徒間のいじめを原因とする自殺事件において、学校側には責任はないとする判例が多い。

 一方、体罰など教師の違法な懲戒が原因となった自殺事件でも、学校側の責任が否定されている裁判例が目につく。例えば、次の判例。

  1. )高校生部活動体罰自殺事件・岐阜地判平成5(1933)年9月6日判例時報1487号90頁。

  2. )高校生違法懲戒自殺事件・最判昭和52(1977)年10月25日判例タイムズ355号260頁
    (控訴審:福岡高判昭和50(1975)年5月12日判例タイムズ328号267頁、第一審:福岡地(飯塚支部)判昭和45(1970)年8月12日判例時報613号30頁)。
これらのうち 2)の最高裁判決の内容を検討する。

判決の内容 判決は、教師の懲戒行為と生徒の自殺との関係について、次のように判断している。
  1. 懲戒行為は、担任教諭としての懲戒権を著しく逸脱した違法なものではあるが、
  2. それがされるに至った経緯、その態様、これに対する光太郎の態度、反応等からみて、・・・・・・
  3. 教師としての相当の注意義務を尽くしたとしても、
  4. 光太郎が右懲戒行為によって自殺を予見することは困難であった、
  5. 従って、懲戒行為と自殺との間に相当因果関係がないとした原審の判断は妥当である。

 ここで適用されている「加害者が予見できなかった事情(=損害とほぼ同じ)については賠償する責任を負わない」とする考え方が民法416条Aのいう相当因果関係説である。この説の適用を支持する学説は次のように述べている。

相当因果関係説と政策判断  この判例は相当因果関係説=416条を適用している。この説に賛成する森島昭夫氏は『不法行為法講義』(1987年、324頁)において、
  1. 結論を説明ないし説得するための道具としてこの説は有用である
  2. 問題は、もっぱら政策的判断にかかる問題である
  3. なぜなら、当事者の地位、加害の行われた社会関係の種類、損害の種類、社会の意識、等々によってその判断は変化するものだからである
と述べている。

 これを念頭に置けば、この判決が相当因果関係説を採用したということは、そこにひとつの「政策判断」があるということになる。

 ここでいう「政策的判断」とは「価値判断」のことであるが、論理的には、肯定と否定、いづれの価値判断も可能であり、どちらを採るべきかはその法律論としての優劣の問題となる。

政策判断について考えると、この裁判例について、つぎの二つのことが問題となる。


@判決文中にこの判決が採用した政策判断(価値判断)が、明瞭な形で述べられていない


 


A交通事故の後遺症を苦にして自殺した事例についての最近の裁判例の政策判断を採用すべきだ

 ごく最近、最高裁は交通事故と自殺との因果関係を肯定した判決を出している。

(最判(一小)平成5(1993)年9月9日交民集26巻5号1129頁)

もちろん事案を異にするので、慎重に評価しなければならないが、最高裁にも変化が出てきたように思う。この判決文を少し紹介しておく。

 
 

「身体に重大な器質的障害を伴う後遺症を残すようなものでなかったとはいうものの、

本件事故の態様が勝に大きな精神的衝撃を与え、

しかもその衝撃が長年月にわたって残るようなものであったこと、

その後の補償交渉が円滑に進行しなかったことなどが原因となって、

勝が災害神経症状態に陥り、更にその状態から抜け出せないままうつ病になり、その改善をみないまま自殺に至ったこと、

自らに責任のない事故で傷害を受けた場合には災害神経症状態を経てうつ病に発展しやすく、うつ病にり患した者の自殺率は全人口の自殺率と比較してはるかに高いなど

原審の適法に確定した事実関係を総合すると、


本件事故と勝の自殺との間に相当因果関係があるとした上、

 自殺には同人の心因的要因も寄与しているとして相応の減額をして死亡による損害額を定めた原審の判断は、

 正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない」。 

 

この裁判例に限らず、最高裁は、一般的に損害賠償の範囲に関して、その範囲を広げようとしている。

 たとえば、最判昭和49(1974)年4月25日(民集28巻3号447頁)は、交通事故により重傷を負った被害者の家族が看病のために外国から一時帰国する場合の帰国旅費を通常損害としている。

 
 

「国際交流が発達した今日、

家族の一員が外国に赴いていることはしばしば見られる事態であり、

また、日本にいるその家族の他の構成員が傷病のため看護を要する状態となった場合、外国に滞在する者が、右の者の看護等のために一時帰国し、再び外国に赴くことも容易であるといえる」。 

 

 時代の動向を考慮して、通常損害の範囲を広げようとしているのである。
 

 このような考え方をとれば、いじめにより被害者が自殺した事例でも、ともかく条件関係は認めるのであるならば、自殺を通常損害として法律構成する余地はあると考える。