2001年 2月7日 水曜日

 学習ノート
生徒の集団虐待と学校の責任 3
裁判例からの教訓


  采女 博文さんの 『いじめと人権--いじめ裁判例を読む』 【1995年度鹿児島大学公開講座 リカレント法律学−人権− 】(法学科主催) の学習ノートの続きです。全文はここの『イジメ根絶のページ』の上記論文を見てください。

 釆女さんは、これまでの裁判例から汲み取ることのできる教訓を次のように指摘しています。


4 これまでの裁判例から汲み取らなければならない教訓がいくつかある。

第一に、いじめ、とりわけ刑罰法令違反型いじめにおいては、これを許さないという学校側の断固たる姿勢が必要だ。  被害生徒が自殺するに至った事件のなかに、学校側の加害生徒に対する及び腰の姿勢が加害生徒を増長させてしまっているものがある。  判決【5】は、教師らの指導についてこう述べている。
  1. 教師は、表面化したいじめ問題について、形式的かつその場限りの注意指導を繰り返すのみであった。
  2. 加害生徒が言い訳をすると、教師はその言い訳が不合理なものでもあってもそれ以上追及調査しなかった。
  3. 教師には問題の全体像を探り出し加害生徒等を全人格的に指導し抜本的な解決を図ろうとする姿勢及び行動は全く見られなかった。
 第二に、学校教育から体罰を一掃すべきだ。 裁判例のなかには教師の体罰がいじめ行為を誘発しているとみられる事例がある。判決【2】は、担当教諭の体罰(多数の生徒に往復びんたを加えている)次のように述べている。
  1. これは教育的なものではなく、自分の気に入った生徒に対しては親切で、そうでない生徒に対してはきつくあたっていたとも考えられる。
  2. 教師のこのような態度(=びんた)は、生徒に対し、他人への思いやりを軽視し、ひいては多少の乱暴は大目に見られるとの意識を助長することになりかねない。
体罰容認論もあるが…  非行生徒に対する体罰を容認する判決例は一例だけである。   体罰認容論の側がよく例に出す非行生徒に対する体罰の容認は、裁判例からみる限り、番長グループの副番長に選出された中学二年生が授業中に席を離れたのに対して担任教諭が出席簿で頭を叩いたことが違法な懲戒行為にあたらないとされた事件(浦和地判昭和60(1985)年2月22日判例タイムズ554号249頁)があるにすぎない。


 釆女さんは体罰に関して次のように述べています。
体罰というのは、

要するに強者が弱者を力によってねじふせる行為であって、教育効果はない。
体罰によって子どもたちが学ぶことができるものは、「暴力による支配と服従」のみです。
暴力は際限なく弱いものへ弱いものへと向けられていく。

 文部省が発行しています『生徒指導の手引(改訂版)』(大蔵省印刷局、一九八一年)には、その第二章生徒指導の原理の箇所に、援助・指導の基盤としての人間関係の類型として次の三つを挙げている。

  1. 権力−支配−盲従の関係、
  2. 権威−尊敬−心服の関係
  3. 出会いの関係

 権威−支配−盲従の関係については、この『手引』なかで、

この関係は、専ら外からの強制的な力に頼って、生徒を援助・指導しようとするものである。
生徒は、教師に対して恐怖心を抱き、その恐怖心から免れるために教師に服従する。
生徒にきまりに従った行動をさせるためには、このような権力−支配−盲従の関係も効果的である。
しかし、この関係では、教師が所期の目的を達成しつづけようとすると、絶えず自己のもつ権力を生徒の眼前に提示し続けなければならない、というおそれがある。

とされている。