2001年 1月21日 日曜日

 寝台と足


   大先輩のT先生から電話をもらった。外国へ赴任がきまったご愛息との意思疎通のためにパソコンに挑戦されるというので我が家へご運杖(実際はバイクだが…)を賜ったのが1週間ほど前。そのおりに「ノモンハン事件」が話題になって、辻政信、服部卓四郎などのピカイチの秀才たちが皇軍の参謀となって何をしたのか、といった話で盛り上がったのだったが、その「ノモンハン」の話の続きである。

 T先生の友人O氏は志願兵で入営したのだが、O氏の部隊は、日本帝国の地下資源供給地の一つであり、かつソ連との緩衝地帯となっていた内蒙古に投入された。

 O氏はそこで、奇妙な噂を聞いたそうだ。街の中に、皇軍兵士の何人かがひっそり匿(かくま)われている場所がある、というのである。国民政府軍が軟禁しているのではなく皇軍が閉じ込めているのだという。軟禁されていたこの兵士が、実はノモンハン戦線で捕虜になって、「解決」後の捕虜交換で帰還した兵士だった。

 1941年1月8日、東条英機陸相が「日中戦争の長期化に伴う軍紀の動揺に対処すべく…」(『日本大百科全書』小学館)戦陣訓を布達した。この中で強調されたことのひとつが「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」の教えであった。このため「多くの将兵が無益な死を強いられることとなった」(同書)。

 しかし、実際は捕虜になった兵士はいたし、交換されて帰還した兵士がいた。だがそれを国民や兵士に公開するわけにはいかない。そこで軟禁するしかなかったのである。

 寝台に合わせて足を切る、というのが皇軍の伝統なのだろう。「戦陣訓」や「銃」や「軍馬」や「連帯旗」や「特攻機」や「天皇」が「寝台」で、兵は常に切り詰められる「足」である。