2001年 1月13日 日曜日

 自殺


   忘暮楼は一度自殺をしたくなったことがある。円形脱毛症になったときである。頭に直径2センチほどのはげができたのが死にたくなった原因だが、なぜその程度のことで死にたくなったのか、今思うとわが事ながら不思議な感じがする。しかし、死にたいと思ったのは事実であった。それからしばらくして産毛が生え出して、そのうち原状が回復され、死にたい気持ちは笑い話になってしまった。

 ずいぶん前に忘暮楼が教えた生徒が卒業直後自殺したことがあった。この子は成績のよい子で、ある会社に就職が決まったのだがたまたまトップの成績だったという。そこで会社ではこの子に入社式での新入社員代表挨拶をさせることになった。普通ならまことに名誉なことで多少の緊張はあってもりりしく挨拶に挑戦するところなのであろうが、これがこの子を苦しめた。入社式が近づくにつれてこの子は追い詰められた。そして、たしか入社式の朝だったか、公園の片隅で灯油を被って焼身自殺した。自分を励ますために酒も飲んでいた。

 もし代表挨拶が他の新入社員に回っていればなんということもなかったのだろうと思う。あるいは、この挨拶をともかくも乗り越えていれば(少しぐらいとちったとしても)その後は何事もなかったのかもしれない。しかし、この一事で何もかもいやになってしまったのである。

 忘暮楼はそのときこの自殺には自分にも責任があると痛切に思った。なぜなら、私はそれまで授業で、生徒に一度たりと人前でしゃべる練習をさせたことがなかったからだ。あの生徒に一度でもそんな体験をさせておけばまた違った人生が開けたかもしれなかった。これは国語教師として自分の責任をまぬかれることはできない。そう考えた。

 そして翌年度から授業に「スピーチ・マラソン」をとり入れた。国語の授業のうち数時間をスピーチにあてた。1人3分間のスピーチを全員がやるのである。生徒たちはいやがったが、全員終わってみれば、あいつがあんなにしっかりしたことをいうとは思わなかった、とか、あいつが家であんなことをしてたのか、とか、新しい発見がたくさんあって、度胸をつける以上の成果が見られた。

 この方式はその後、3学期のロングホームにとり入れられ全校行事となり、学級での貴重な相互理解の場となったがそのうちマンネリ化してしまったようだ。痛切な気持ちはそれほど長続きするものではないのがふつうであるからこの蛇尾も致し方ないのであろう。

 要は、事件から何を学ぶか。とり返しのつかない事件を自分の姿を点検する鏡にできるかどうか、ここに失われた命に対する誠実さの問題があるのであろう。思えば学校は「命の箱」なのであるから、生徒が1人自殺したのになにもどこも変わらないような学校は学校ではないと言えよう。